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2012年 02月 02日
過日、丸の内界隈でロケ。そこだけ殊更日当りのいい一角で、花開いた桜を見つけた。それにしてもずいぶんと先走った感がある。とはいえ、春の訪れ間近なようで嬉しくなる。
![]() 2012年 02月 02日
怒濤の仕事尽くしな1月が終わった・・・。独立して初めての忙しい1月だった。
おととしの1月、あまりの暇さに不安が増し過去のブログをたどってみたら、毎年1月は暇なことが判明。「わたしはそういうサイクルなのかな」と自分を納得させた。なんとか1月に気が滅入らずに済む方法はないか・・・そうだ、写真展をやろう。人に逢うことで落ち込むのを回避しようと思い至って去年の1月は写真展を開催したのだった。 今年は様相が一変した。12月も怒濤のスケジュールだったが、その流れが1月まで引っ張った。もちろん仕事が忙しいのはフリーランスにとってありがたいことだ。あわわあわわと日々を送るうちに1月が終わり、そして2月。わたしの2年間の天冲殺がいよいよ終わる! これといって「天冲殺」にあたるような出来事はなかったように思う。震災で心理的に大きな打撃をくらったが、我が身や家族は何も被らずに済んだ。年をとったとはいえ猫も健在で、毎日食っちゃ寝をのほほんと繰り返している。ただ、周りのものがよく壊れた。PCの不調、外付けHDの故障、ほかにもちょろちょろ。友人曰く、「むーちょの災厄を周りのものが身代わりになって受けてくれたんじゃない?」と。なるほど、さもありなん。ひとつ挙げるなら、今までと比べ異常なまでに出費が多い2年だった。それは自分のこらえ性がないせいからでもあるので、「天冲殺だから」と言って納得せざるをえないような出来事はおそらくなかったと思う(気付いてないだけだったり・・・)。 ![]() 「天冲殺」があけた後は、どうやらウハウハな3年間がくるらしい。どうウハウハなのか楽しみだ。先日妊娠5ヶ月の友人が「39歳で妊婦だよ。もう諦めてたからびっくりした」と嬉しげに話してくれた。「○○さんにとって39歳の今がそのタイミングだったってことだよ。わたし今年39だわー」と言ったら、「もうね、この年になったら順番なんてどうでもいいから、むーちょも頑張って」なんて笑っていた。・・・この3年の間にそういうことは起きるのかね、どうだろうね、まあ、起きたら起きたで、起きなかったら起きなかったで。どっちにしても後悔せずに済むような日々を年月を重ねていくだけだ。 2012年 01月 31日
わたしにとって移動時間は貴重な読書タイムなのであるが、去年は震災以降とにかく情報が欲しくて移動中もずっとTwitterを見るなどし、思えば本とやや疎遠な日々を過ごしてしまった。まあ、それもやむを得まい。状況が状況だったのだ。
新年を迎えるにあたって、今年はめいいっぱい本を楽しみたいと思った。ネットとの付き合いにメリハリをつけ、移動中は読書に集中しよう。そう決めて、年明け早々友人と待ち合わせた本屋であれもこれもと気になる本を見つけ、数冊購入に及ぶ。本は所有欲の発動を認めている対象なので、ケチらずに買う。このときは「福島に生きる」(玄侑宗久/双葉新書)、「河北新報のいちばん長い日」(文藝春秋)、「そろそろ旅に」(松井今朝子/講談社文庫)、そして「舟を編む」(三浦しをん/光文社)を購入した。 新年最初に読んだ本は「茗荷谷の猫」(木内昇/文春文庫)で、名もなき普通の人の生活や人生を時代に沿って繋いでいく連作集で、派手さはないものの、そのときそのときの時代の匂いを反映したとても味わい深い短編集だった。 ここ数年、自分のことで泣けてくるような出来事は起きていない。が、新聞だろうと小説だろうとノンフィクションだろうと、活字を追うと訳もわからずおいおいと泣くことはよくある。中でも三浦しをん作品にはいつも相当に泣かされている。どこかどうあって泣くのか、それは分析してみたことがないからわからないが、とにかく沁みるのだ。言葉たちが細胞にじわじわひたひたと沁み込んでいくのだ。 ![]() 以前、歴史辞典を編んだ出版社社長のインタビュー撮影をしたことがあったので、制作に途轍もなく時間や費用を要することは知っていたが、それをおとしこまれた物語を読んで、改めてその膨大な作業のことを思った。関わっている自分が生きているうちに「発刊」という日の目を見られないかもしれない作業。言葉に対して強い思いがなければできない仕事だろう。 2012年 01月 26日
土曜日。友人宅での新年会へ行く前にちょっと寄り道して、新宿は柿傳ギャラリーへ。染織作家の荒木節子さんの展示を見てきた。
数年前に「きものサロン」の取材で初めてお逢いしてから、展示に足を運ぶのは三度目だろうか。荒木さんの生み出す帯はわたしが想像する「モダン」な着こなしにぴったりあてはまる。柄ものが大好きなせいもあって、気がつけば似たような傾向のきものや帯ばかりになっていたから、こんな帯を締めたらさぞや着姿も気分も変わるだろうなあ・・・と夢想させてくれる作品ばかりだ。 思い切ったデザインとぬくもりを感じる色合いとのコントラストが素敵だ。今の自分にはまだ早いかな、とか、合わせられるきものがないかな、とか思って会場内を何度も行ったり来たりする。写真展や絵画展のように「鑑賞する」に徹すればいいと思うのだが、きものが大好きなもんだからつい、脳内コーディネイトと脳内電卓叩きが交互に繰り広げられる塩梅・・・。 ![]() 結果、自分にご褒美を頻繁に与えているけど、12月と1月の忙しさは半端なかったので、またもご褒美を与えることにした。「いつどうなるかわからないんだから、欲しいものがあってなんとか手に入れられそうなら手に入れてしまえばいいと思う」なんてな話をこの展示を見る数日前に友人としたのだった、いたって真剣に。それは欲しいものを手に入れることだけではなく、してみたいことをすることも逢いたい人に逢うことも全部に言えることで。展示を見て、荒木さんの色をまといたいと強く思った。 2012年 01月 22日
年が明けてようやくにして初落語。まさかこんなに遅い落語スタートになるとは思いも寄らなかった。
例年1月は緩やかスケジュールで、新年の匂いが残る寄席の二の席を堪能するのが恒例だったけど、今年は連日慌ただしいことこのうえなく、初席どころか二の席も行かれずじまい。あの師匠のトリもその師匠のトリも拝見できなんだ。残念。 チケットをずいぶん前からおさえなくてはいけないホールでの落語会は、いつ仕事が飛び込むかわからない身ではなかなか取りにくい。20日は1月だから大丈夫だろうと予約してあったホールでの落語会で、昼間の仕事が予定通りに無事終われたから時間に余裕をもって行くことが叶った。 「TATEKAWA BLOOD」志らく談笑二人会 @調布グリーンホール らく兵 「たらちね」 談笑 「金明竹(津軽弁バージョン)」&「イラサリマケー」 仲入り 松元ヒロ 談志師匠との思い出話と君が代の話 志らく 「浜野矩随」 ![]() 松元ヒロさん初めまして。笑いの散りばめ感がすごく心地よくて、気持ちよく大笑いした、ネタ的にはキケンなところもあるってのに。志らく師匠、談志師匠が亡くなって誰が名前を継ぐのか名を継ぐのは難しいというマクラから「浜野矩随」へ。じっくり聴かせる「浜野矩随」を聴いたことがあるけれど、師匠のはひょいひょいと軽やかに浜野矩随が覚醒していく様を描く。 久しぶりに落語の世界に浸ってみて改めて思うのは、演者は男性なのに登場人物の女性を演じる際にまるで違和感がないのはやはり不思議ですごいことだなあと。当然のようなことを今更改めて思ったわけだけど、しのごの言わなくてもやっぱり落語は面白いってことなのだ。 2012年 01月 18日
先週、ポメラニアン・俊介くんの撮影で、千葉の鎌取へ遠征。この街にある「TOMOカフェ」がこの日のロケ地。たくさん撮りまくって午後一で撮影終了。そのままお店でランチとなった。
この日はグリーンカレー・ランチ。目の前に出された器の中をのぞいて嬉しくなった。ビタミンカラーがたくさん。冬は景色の中の色が極端に少ない。外で撮影しているとその冬景色の寒々しさが気になって場所選びにも難儀する。今回のロケでも、黄ばんだ芝生がなんだかさみしかった。 ![]() 2012年 01月 18日
過日、撮影で関わった「粉花のパンのレシピと浅草さんぽ」(アールズ出版)のスタッフ打ち上げが浅草の「一文」であった。この店の名物・ねぎま鍋、おいしかったなあ。
「粉花」の藤岡姉妹からプレゼントされた「ガレット・デ・ロア」なるフランス菓子。もちろん手作り。初めて食べたけど、ちょっと忘れられないくらいのおいしさ。「粉花」の店頭でもいただけるそう。 ![]() 2012年 01月 16日
ちょいとさかのぼって年末のとある晩。明日は年内ラストの燃えるゴミ回収日だと気付き、押し入れの奥からノートの束を引っ張り出す。
いい加減処分しようと考えていた21歳から26歳くらいまでつけていた日記。万が一突然命を落とすことがあるかもしれない、見られて困るというよりもこっ恥ずかしい。死んでしまったら恥ずかしいも何もないが、みっともないものは処分しておこうと思っていたのだ。 ノートのワイヤーをペンチで切って外す。ばらばらになった紙たちを手で縦に裂いていく。自宅にシュレッターなどという気の利いたものはないので、ひたすらに手作業。ノートの間からばらばらこぼれ落ちていくのは映画や写真展の半券たち。それらの感想をこまめに綴ったものだ。時々手を止めて読んでみる。当時はどんなことに悩んでいたのか、何に迷っていたのか。かつての自分の悩みに触れてみて、それらが全て解決していることに気付く。悩みの内容すらきれいさっぱり忘れていた。つまり時の経過となにかしらの経験の結果、いつの間にか解決していたということだ。30代も後半にいたった今となっては、ちゃんちゃらおかしい悩みもたくさん綴られていた。年をとるのもなかなかにいいではないか、と思えた瞬間。 ![]() 「人間は奮闘しなくてはいけない。人の百倍奮闘しなさい。そうすれば人は人間としての種の保存の本能から、奮闘する者を愛します。私の目の黒いうちは、あなたたちを応援してあげられるけれども、そんなに生きられない。だから奮闘しなさい」(インタビューの一部を抜粋) これを読んで「奮闘」という言葉が頭の中に焼き付いた。作品から感じ取れる檀一雄という作家もまた、奮闘する人であった。そして今年は檀一雄生誕100年だ。久しぶりに彼の郷里・柳川を訪れたくなった。 そしてもうひとつ、ここにあったのか、とはっとしたもの。それはわたしに写真の世界へのきっかけをくれた写真家・出川香澄さんの写真展のDM。でもこの写真展は彼女の死後に開催されたものだ。中国の雲南省に作品を撮りに出かけ、乗っているバスが現地で起きた土石流に巻き込まれて彼女が帰らぬ人になったのは、もう10年ほど前のことだ。29歳という若さだった。写真展を通じて彼女のお父様とやり取りする機会があり、その際に「今でも成田空港に行けば娘がただいまと帰ってきそうな気がしてしまう」とおっしゃっておられたっけ。彼女と写真の話をしてみたかった。何を求めて雲南省に行ったのか、作品を撮るって彼女にとってどういうことなのか、そういう話をあれこれとしてみたかった。 自分を変わらず鼓舞してくれる言葉や存在。この二点は日記とともに処分するのではなく、わたしの指標として手元にしっかり残しておこう。 2012年 01月 14日
こないだの連休に、久しぶりにスタジオ時代の友人と逢った。まだ正月の延長な頃合いだしってんで、そんな時期でもないとなかなか着ないような組み合わせのきものと帯でふらっと出かける。
久しぶりに袖を通した柄尽くしな小紋は、紬と違って柔かだからしっとりと身体に沿う。帯はアンティークで少し短めなので締めるときにちょっと注意が必要で。それにしても厚くて固い。ふだんは金糸が使われた帯なんてほとんどしないけど、新春の華やぎを演出するにはちょうどいい案配。 この小紋は着付けを教えてもらうにあたって最初に買った二枚のうちの一枚。もう一枚の銘仙のほうはとっくに若いきものガールに譲ってしまったけど、こっちはまだ手元に置いて、年に一度か二度着る程度だ。いずれは羽織に仕立て直そうかなと思っている。きものはそういうことを考えられる楽しみがある。 ![]() 今年はきもので買い物暴走しないように、はやりそうになる気持ちを押さえつつしずしずと行こう・・・冷静に、冷静に・・・(できるなら苦労はしないのだが・・・) 2012年 01月 08日
5日に今年初きもので浅草をぶらぶら。新年あけまして感が年々希薄になっている自分ではあるが、きものくらい新春気分を演出しようと、この時期になるとこの帯を重宝し出す。こまどりと梅の染め帯。
きものや帯をネットで買うのにためらいがあった頃(そんな時期もあった・・・懐かしい)に、広島拠点のショップで見つけた。「お気に入り」に入れて時々眺めていたのだが、梅柄だし着用時期が短いだろうと思い、まだまだ汎用性を意識してきものや帯を買い求めていただけに、躊躇したまま時間が過ぎた。三年前の年末だったろうか、「新春っぽいものが欲しい」とふと思い立ち、購入に踏み切った。ショップの方からご丁寧に、「発送のために再度チェックしたところ、着用すると全く見えない箇所なんですが小さいしみを見つけたので、値引きさせていただきます」と報告のメールをいただいた。 ![]() 2012年 01月 08日
七草粥は朝食に食べるもの・・・ということを知人のブログで知ったのは朝食も済ませた7日の昼時分。
その朝はパンを食べた。前日に、盛岡の落語会の世話人さんから送られてきた「横澤パン」の食パンに、年末の長野行きで見つけたくるみバターを塗って。この方からは岩手のうまいもんを四季折々以上の頻度であれこれ送っていただいて、地味極まりない我が家の食卓にアクセントをもたらしてもらっている。ではこちらからも何かお礼に、と思案してみるのだが、岩手の食文化の豊かさを思うと何を送っても太刀打ちできない気がして、恩恵に預かりっぱなしだ。 ![]() 2012年 01月 05日
初の猫連れ帰省は気を揉むことの連続であった・・・。
とにかく行き帰りの道中が心配だったのだ。電車の中で鳴き続けやしないか。粗相をしないか。バックの中で大暴れしないか。油断したすきに逃げ出しやしないか。いやもう、ドキドキのし通しだったのだが、思いのほかおとなしく、滞りなく往復することができた。内弁慶で年寄り猫だったことが幸いしたのだろう。 時折バックをのぞきこんで猫をあやす光景は、他人様から見ればバックに向かってひとり言を呟くアブナイ人に見えたに違いない。なにせ猫を運んだのはゲージなどではなく大きめの底のあるキャンバス地のバック。まさかそこに猫が入っているようには見えなかったろう。逃げ出さないように上部をピンで留め、バスタオルで猫を包んで左肩にかけて運ぶ。背中には買い出しばりのどでかいリュック(昔、古着屋でみつけたスイス軍のもの)。右手にはお土産の入った布バック。ひたすら身を固めて電車の中でもこそっと乗っているといった塩梅で。上野に着いてスーパーひたちに乗り込んでようやくひといきついたのだった。 ![]() 母にも弟にもすっかりなじみ、意外にも弟はさかんにかわいがり、階段の上り下りなんかもして軽い運動をし、わりといい正月だったんでないの、ぱちさんや。 こちらも、おおよその往復の緊張感を味わってクリアできるレベルであることがわかったので、これからは積極的に長帰省ができそうだ。 2012年 01月 05日
今年もどうぞよろしくお願い致します。
去年の正月は写真展の準備で暗室に籠ってひたすら写真を焼き、疲れると暗室から出てDM代わりの年賀状をひたすらしたためていたっけ・・・。新年の匂いの一片もないような正月だった。たった一年しかたってないのにうんと昔に感じるのは、震災ゆえだろう。 新年を迎えたからといって、これといって大々的に抱負を掲げることも随分しておらず、毎年比較的淡々と年を越してきた。わたしの仕事におけるテーマは是「一期一会」。撮影現場はどれも常に一回こっきりで、たとえ同じスタッフと仕事をすることが先々あるにしても、その現場そのものは一回。だから真っ白な灰の完全燃焼をイメージしてその一回に取り組む。そういう考えにいたってからというもの、年が改まったから云々ということをほとんど考えなくなった。いいのか悪いのかはともかく・・・仕事以外はどうなのよって話だが・・・。 そういうわけで新年だからといってテンションがほとんど変わらない。今年はなおさらそう。どうしたって震災の記憶はまだまだ身近なので、年賀状は出すには出したが控えめに「2012年、始動。」あるいは「2012年、誕生。」としたためた。去年はたくさん失われた一年だったので、今年はいろいろなものがたくさん生まれくる一年であって欲しいと心から願う。新年がやってくる慶びというよりも、新年に向けての祈りに近い感覚だった。少しでも前を明るいほうを向いて歩んでいけますように。わたし自身は大丈夫、でもそうでない人たちが少しでも、一歩でも前へ明るいほうへ・・・。 ![]() そんなわけで、実に非力微力ないち個人でしかないわたしではありますが、これまで同様関わることには最大限の力を注いで真剣に生きて参る所存でございます。2012年もどうぞよろしくお願い致します。 (写真は故郷・日立駅の新駅舎から見える太平洋。なんとはなしに海を眺めている、という光景が好きだ) 2011年 12月 30日
さて、と。これからこたつでいびきをかいて寝ている猫を引っぺがして、初の猫連れ帰省と相成る次第。
年をまたいで帰省するのなんて何年ぶりだろう・・・。実家はネット環境皆無なので、箱根駅伝とテレ東時代劇「忠臣蔵」を楽しみに正月を過ごそうと思う。おっと、年賀状もしたためねば。結局50枚くらいしか書き終わらなかった。 今年はたくさんの人がたくさん失った一年だった。年が改まったからといって、それら全てがチャラになるわけじゃない。そのことをしっかり心に留めて新年を迎えたい。傷ついた人たちが少しでも明るいほうを見つめて一歩でも前へ進んでいけますように。 ![]() 2011年 12月 25日
暮れ行く卯年を惜しみつつ・・・一日仕事の後にむしょうに糖分が恋しくなって、駅前の「フロレスタ」でドーナツを買って帰る。一個はおやつにもう一個は翌朝にと思っていたけど、結局二個ともおやつに消えた・・・。
![]() 例年1月2月は暇でテンションが落ちがちだったのだが、ならば落ちないようにするにはと今年は1月に写真展を開いて積極的に人に逢うことを意識した。来年はどうなるかなと思っていたらば、なんとフリーランス人生初の忙しい1月になりそうな気配。これまた皆々様に深く感謝なんである。 2011年 12月 25日
きものの世界にはまってからというもの、リサイクル店をまわり時には敷居の高い呉服屋をのぞいてみるなどして、あれやこれやと散財しつつも心潤う日々を過ごしている。やはり民族衣装ゆえのDNAのなせる技なのか、きものを着るとどことなく落ち着くというか包まれている安心感に満たされるというか、わたしにとって「きもの」とは今やそういう衣服なんである。首を突っ込んでみたら、決して面倒で難しい世界ではなかった。
10月に一端撮影が落ち着き、11月からまたも激走な撮影daysを送っている。せっかくひとめ惚れして買い求めたのに着る機会がないんではつまらないので、最近は事務所でデスクワークだけの日にもきもので出かける。 和の習い事をしたくてきものを着始めたとかではないので、手持ちのものはほとんどが普段着感覚の紬や小紋だ。その中であーだこーだと組み合わせを考える。そのきものや帯に出逢ったときのことを思い出しながらの楽しいひととき。 ![]() 網代格子みたいな紬は麻布十番の「松美屋」で出逢った。今年はこの店を実に頻繁に訪れた。行くたび若旦那ときものの話で盛り上がり、気づくと数時間経過なんてことはざら。呉服屋の三代目がどうしてリサイクル店を出したんだろうと思っていたのだが、こないだ話していてようやく腑に落ちた気がする。今ではもう絶えてしまった手仕事の技術やセンスが古いきものの中で息づいている。若旦那はそこに魅了され伝え残したいのではないだろうか・・・。そう思うと、これまでのたくさんのおしゃべりの内容と合点がゆく。 2011年 12月 25日
時季ものに手を出すと歯止めがかからなくなるに違いない・・・!と懐具合を懸念して、これまできもの関係のアイテムは時季感が強いものはなるべく迂回してきた。
でもこれは我慢をやめた。すんごく素敵だし、とてもお手軽な値段だし。もともとピンブローチとして制作されているものだけど、問い合わせしたらプラス料金で帯留め加工してもらえるという。ってなわけで、自分にしては実に珍しくクリスマスものを購入。かわいい! ![]() さてこの帯留め付けて、今日は用賀の真福寺へ参る。権太楼師匠の暮れの会。 2011年 12月 23日
撮影で、4月以来の長岡へ。前回はこれからどんどん暖かくなっていく予感のある寒さだったけど、今回は日増しに冷え込んでいくであろう寒さを体感。完全防寒で臨んで正解だった。
途中新幹線で通った越後湯沢の辺りは完全に白一色の世界で、「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪國であった」を目の当たりにする。同じ日本において、冬ほど顕著に場所によるビジュアルの違いが見られる時期もほかにないだろう。 ![]() こんな雪景色を見ると必ず、岩井俊二監督「Love Letter」を思い出す。ふたりの「藤井樹」の高校時代のシーンが好きだった。自分の高校時代は雪に降りこめられることもなく、しかも女子校だったから、この作品に描かれるような思い出は一片たりともなかった(いや、共学に通っていたとしてもなかったであろうが・・・)。作品の要にもなっている図書室にはよく通っていたけれど、それはクラスが居心地悪かったゆえの逃避だった。高校二年のとき。修学旅行も学園祭もあったし受験もまだ意識しなくて済むいちばん楽しいはずの一年が、わたしにとっていちばん苦痛な一年だったっけ。 2011年 12月 22日
事務所近くの食堂横の路地に、震災後仔猫が三匹住まうようになった。食堂のオヤジがご飯を与えているようだったけど、水入れがないしご飯も少なかったので、余計なこととは知りながら、水入れを置いてみたり差し入れしたりをするうちに、オヤジが水入れを置いてくれるようになり、ご飯も多めにしてくれた様子で安心したのだった。
![]() 2011年 12月 21日
10月はじめに稲刈りに参加してきたNPO法人フェアトレード東北から、そのときの新米が届いた!
品種はミルキークィーン。放射性物質に関する調査もクリアし、無事出荷に至ったとの由。「復興米 Niji 虹」と名付けられたそのお米を購入しようと、ネットショップをのぞいたときにはすでに売り切れだったので、届いたときにはとても嬉しかった。参加賞ということでありがたくいただこう。ごちそうさまです。 ![]() 2011年 12月 17日
日曜日、平成中村座へ。
一幕目は間に合わなかったけど、二幕目からしっかり目を凝らして観る。面白い座席だった。二階の舞台下手側で、幕のすぐ横。なので、幕が降りても舞台上の様子が見える。裏方さんがせっせとセッティングする様子や、幕が降りて勘太郎くんがほっと笑みをもらす表情なんかもつぶさに見える。歌舞伎体験まだ4度目なれど、こういうところも含めて面白いんだなあと納得。 「平成中村座」夜の部 @浅草隅田公園内特設小屋 一、「芦屋道満大内鑑 葛の葉」 二、「積恋雪関扉」 三、「松浦の太鼓」 勘三郎さんの剽げたお殿様ぶりがとてもキュート。二幕目では小町桜の精を三幕目では赤穂浪士の義士を演じていた菊之助さん、初めて演技を拝見したのはリメイク版「犬神家の一族」のとき。やはり歌舞伎は生もの、きれいであったなあ。 売店で見つけた一筆箋、その名も「すみま箋」。三段階で謝っているのだが、見ようによってはお礼しているようにも見える。よし、請求書を送る際にこれを使ってみようと購入。「引札屋オチャマンテ」というところの作品らしい。一緒に歌舞伎見物したOさんによると、オチャマンテ・ショップは以前にも出店していたとのこと。歌舞伎の華やか色にとても合っている感じ。 2011年 12月 16日
浅草寺裏の自家製酵母のパン屋さん「粉花」の本がついに完成!(17日発売)
スタッフみんなで想いをこねて焼き上げた一冊。4月のパン教室の撮影に始まり、春・夏・秋の「粉花時間」を撮り重ねてきた。いくつものパンを食べ、ちゃっかりパン教室にも参加し、焼きたてパンの匂いに包まれながら、気持ちのいい時間をたくさん過ごした。 震災や原発事故からひと月後にスタートした「粉花」との関わり。まだまだぞわぞわした気分がつきまとっていた時期だったから、食べたいパン・おいしいパンを選べるってすごく幸せなことなんだ、と思いながらかみしめるように食べたのだった。お店の窓辺の椅子に座りながら、しゃべっては撮り、撮ってはしゃべりした。そこに差し込む日差しも、順々に並べられていくパンたちも、そして粉花姉妹も、何度訪れても毎回新鮮で、撮りたくなるシーンにあふれていた。 ![]() 「観音裏のパン屋さん 粉花のパンのレシピと浅草さんぽ」(藤岡真由美・恵 著/アールズ出版) 2011年 12月 14日
先日の善光寺行きの流れで、栄村を訪れた。ここは3月12日に大地震が起きた長野の最北端。車から見た風景は冬枯れの寒々しい山々、そして工事中エリアがぽつんぽつんと。同じく大地震を受けても東北の被災エリアと風景が全然違うのは、もちろん津波被害がなかったからなわけで、建物などはすっかり直っているようだった。道の駅で野菜を売っていた女性曰く、「急いで直さないと、雪が降っちゃう」と。豪雪地帯なんだという。
彼女に震災時のことを伺った。まだ人が起き始めない早朝だったからみんな布団にもぐって助かった。これが一時間後だったら台所で火を使い出したりして火事が出ただろう、と。ライフラインが止まったけど、水は山に行けばあるし、灯油があるからストーブが使える。冬場で食料を備蓄してあったから困らなかった、と。そう話す彼女の前には「栄村産」と札のついた野菜や豆、山の幸がずらずらっと並ぶ。 ![]() 2011年 12月 13日
紅葉をぼんやり眺めることもなく時期が過ぎてゆくなあ、風情がないやね・・・などと思っていたら、先日の長野行きで善光寺のそばにそこだけ真っ赤に燃える紅葉をみつけた。
地元の住職によると、今年はきれいに色づく前に茶色くなって落ちてしまう傾向だったそう。そんなこともあるのを知る。 ![]() もちろんのこと、紅葉に罪はない。目の前に現れた見事な紅葉を素直に喜ぶにかぎる。 2011年 12月 13日
喜ばしきは大根がおいしく煮えたこと。
![]() 翌日はロケで大阪へ。7日夜に帰宅して鍋をのぞいたら、いい案配に飴色に。温めて食べてみたらこれが自画自賛のおいしさ。わたしにしては珍しく、上品な味付けになった。大根がおいしく煮えるとほんとに嬉しい。
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