柳家権太楼暮れの会へ
2010年 12月 28日
権太楼師匠の挨拶から始まる。11月中体調を崩して入院されていたのだが、その原因やその後の経過などの報告がある。たくさんの人に助けられました、としみじみおっしゃっておられた。元気な師匠の高座姿を拝めてこちらも安心して年が越せるってもんだ。よかった、ほんとうに。
右太楼 「ぞろぞろ」
権太楼 「唐茄子屋政談」
仲入り
甚語楼 「小言幸兵衛」
権太楼 「抜け雀」
今月発売のPONY CANYONの落語CDのジャケット撮影で、甚語楼師匠と我太楼師匠にはとてもお世話になった。そのお礼を仲入りのときに直接伝えられてよかった。いろいろと無茶を言ったのにそれに楽しそうにつき合っていただき、とても感謝。おかげさまで楽しいジャケットになった。
師匠の「唐茄子屋」はたしか聴くのが三度目。やはりよかった。途中に出てくる「鯵を焼け」っていうおじさんの台詞に思わずうるっときた。前後を考え合わせると笑ってもいいところなんだけど、不肖の甥っ子に対するおじさんの愛情が「鯵を焼け」ににじみ出まくっていて、ついほろり。そう、師匠の落語にはこういうことがたくさんある。笑えもするんだけど、ほろりともさせられるという、ないまぜな感情がよく起きる。そしてそのほろりがずっと余韻として残って、終わったときには胸中にしみじみと感動が広がった。
甚語楼師匠ってば、ご本人にぴたっと添う噺を実に的確にもってくるなあ・・・と、聴く機会が重なるたびに思う。「小言幸兵衛」もまたぴったりだった。大家の杞憂っていうかすでに妄想の域なんだけど、それが暴走し加速していく様が見事で、まるで高座上の甚語楼師匠がイコール幸兵衛さんに見えてくる。そしてし過ぎない実にちょうど良いところできっちり抑えをきかせている感じがする。
お弟子さんたちの高座を拝見すると、似ていないようでいてもしっかり権太楼師匠のDNAが伝わっているのを感じる。どこが、と説明しきれないけど、なんとなくそう感じるのだ。一門会に行くのが好きだ。お弟子さんひとりひとりの中にちゃんと師匠がいる。型とかそういうんじゃなくそこはかとなく似ている。生き写しというんではない。芸が受け継がれている様を目で耳で感じるのがすごく楽しい。
落語会がはねた後、オートマタ作家の二象舎・原田和明氏の展示を表参道のスパイラルマーケットへ見に行く。相変わらずおかしみあふれる方で、一年前に取材で出逢ったとは思えないくらい、もっとずっと前から交流があったような気がしてしまう。今回は奥さんとはお逢いできなかったのが残念。夫婦漫才のようなお二人のノリも大好きなのだ。最終日になってしまったけど、お逢いできてほんとによかった。
さらに事務所へ寄ってすっかり忘れていたデータを仕上げ、さらに京島の爬虫類分館へ行って音楽イベントを観る。いやはや、慌ただしいクリスマスであったことよ。でもとても豊かだった。自分のテリトリーからちょっと足を踏み出してみると愉快な出逢いがたくさん転がっていて、心を動かす機会が続々と訪れる。今年もまたたくさんの人との交流を楽しんだ有意義な一年だった。来年も、どんどん行動していこう。
権太郎さんの与太ものも好きですが、「百年目」を聞いて以来、師匠の、例えば大店の主人だとか、棟梁だとか、情のある年配をお演んなさると、なんだかしみじみをこちらの心に染みるようだな〜って感じるようになりました。
今年はバタバタであまり聞きに行けなかった落語、来年はもうちょっと寄席にも足を運びたいな〜って思います。