うちの父
2011年 03月 15日
わたしの父・武藤靖雄68歳は、定年してもお呼びがかかれば「ほいきた!」とフットワーク軽く中国は大連の現場へ赴く。父が現場でどういう立場でどんな仕事をしているかというのは何度説明されてもよくわからない。タービン関係の仕事・・・って、わたしにはこのタービンってのがよくわかってない。とにかくそれはもう頻繁に出かけては戻って、また出かける、の繰り返し。だからこの地震発生時にたまたま日本にいてくれたのはなんともありがたく心強かったのだった。
わたしが中学一年のとき、父はナイジェリアの首都ラゴスにいた。今はどうだかわからないけど、当時ラゴスへ行くにはロンドン経由しかなく、航空運賃も桁違いに高かったらしい。ゆえに一連の仕事が終わるまで帰国ができなかった。詳しいことは憶えていないが、父がラゴス滞在中に国内で政治的な暴動が起き戒厳令が出された。情報が極度に少ない中、家族は日本でひたすら無事を祈ったのだった。
フィリピンでマルコスさんとアキノさんの政権争いが勃発し政情不安に陥ったとき、父はマニラに長期出張中だった。その様子をニュースで見ながら、大丈夫だろうかと気を揉んだ。中国でSARSが流行ったときはまさに上海におり、外出禁止令が出されたという。無事帰国できるのか、帰国しても成田で隔離されるんじゃないかとやっぱり気を揉んだ。
そんなふうに父は行く先々で不測の事態に出くわしその都度切り抜けてきた。今回も弟を伴ってほうぼう歩き回り情報収集に精を出しているようだ(実家にはネット環境がない)。断水が続く中給水所以外の給水場所を見つけてきたり、食料の調達に励んだり、地域ごとの避難場所をチェックしてきたり、日立やその周辺の被災状況を確認してきたりと、何やら毎日大忙しの様子。電話するたびにその日得た情報を聴く。娘としては何もできなくて歯がゆいし心配だけど、父がいるなら大丈夫だとも思える。おそらくこういう父だから母は常に任せっきりで、ゆえにひとりで上京するたびに上野駅で迷子になり、わたしとの待ち合わせすらうまくいかないんじゃないか、と思えてくる。
遮断した交通網が復旧するまでの間、申し訳ないけど父にはもう少しがんばってもらおう。
まだまだご不便とは思いますが、きっと大丈夫、と信じます。
比べるのもおこがましいのですが、うちの実家も阪神のときは被災して、でも被災とはいっても家は無事で、電気だけ1日で復旧(水ガスは当分停止)だったのですが、やはりなんとかなるもんだと体験者(妹)が言ってます。父の職場は全壊でしっちゃかめっちゃかで、走りまわって他所を間借りして仕事したり新しいところを見つけたりしてました。
自分の身内が被災して、自分は遠くに離れてて、でも何もできなくて、…かといって完全に第3者ではないのでボランティアとか募金とかいう行動に、当時ピンとこなかったのを覚えています。
今回の震災、本当にこれからが長そうですので、きっとこれから出来ることが徐々に見えてくると思います。それまでしばらくガマンしましょう。
別の場所で、家族(娘)がきちんと自立して生きているという事実が、希望になっている場合もあると思いますし。
差し出がましいこと行ってスミマセンでした。
明日、お逢いできますね!
うちの実家自体は地震被害は全くなかったようです。ご心配ありがとうございます!