風が強い日には
2011年 09月 03日
こんなふうに風が強くて秋の気配を感じる日には決まって、「野分」という言葉とともに「あさきゆめみし」(大和和紀・講談社)のある場面を思い出す。野分のひどい日に父のもとを訪れた夕霧が、たまたま強風で巻き上がった御簾の向こうに紫の上の姿を垣間見、その美しさに目を奪われ心ひそかに「樺桜の君」と名付ける・・・。光源氏は夕霧が(若き日の自分のように)父の恋人に横恋慕しやしないかと内心勘ぐる・・・おおよそそんなストーリーだったと思う。
ほかのシーンにも増してこのシーンを特によく憶えているのには理由があって、母校の古典の入試問題がまさにこの場面だった。問いの部分を読んだだけで原文を読まずともどの場面かすぐにわかったので、読解に悩まされることなくさらさらっと答えを導き出せた。「あさきゆめみし」様様だ。
「風」を思うとき、いろいろな作品が思い出される。三浦しをんさんの「風が強く吹いている」もそうだし、「ガラスの仮面」の一場面なんかも。
そういえば子どもの頃読んだ絵本に「風が吹くとき」というのがあった。米ソの対立が叫ばれていた頃に読んだんだと思う。「核戦争」や「核実験」によってどういう事態がひき起されるのかということを市民レベルで如実に描いた作品で、子どもながらに兎に角怖かったのを憶えている。最初のページでは平和そのものに暮らしていた年配の夫婦の、環境のみならず姿形が、ページを追うごとにどんどん悪化していく。なのに、何が起きたのかよくわかっていない夫婦は、淡々と日常を送るのだ。