故郷の海で思い出すことなど。
2011年 10月 04日
台風一過の海は、空の青を映して真っ青だったけど、波が岩にあたる音はすさまじかった。荒い海だった。遊泳禁止の浜が多い。訪れたうのしま海岸もそのひとつ。潮の満ち引きのタイミングもあるけど、浜が狭く波が荒い。
あの日母はつばの広い帽子に丈が長めのワンピースを着ていた。顔がほとんど見えないくらい深く帽子をかぶり、ワンピースの裾をふわふわと泳がせていた。そして母は若かった。今のわたしよりもずっと若かった。
子どもの頃、母がいなくなったらどうしようという漠然とした不安がいつも隣りにあった気がする。昼寝をしている間に母が近所に買い物に出かけ、その最中に目を覚ましたわたしは、縁側に立って大声でおいおい泣き叫んだ記憶がある。近所の人が慌ててやってきて、「奈緒美ちゃん、お母さん石川さん(近所の店)に買い物行っただけだから。すぐ戻ってくるから」となだめた。母が鏡の中に閉じ込められて、当時はやっていた戦隊ヒーローが助けてくれる、なんて夢も何度となく見た。父が長期出張の多い仕事だったからなのか、母の不在を勝手に妄想してはそれが現実になったらどうしようとおびえていたのだった。
帰京して数日後、実家より小包が届く。中にはドライヤーが。そういえば帰省中、風呂上がりに髪を乾かさないわたしに母が「ちゃんと乾かさないと傷むわよ」と言った。わたしは「うちにドライヤーないからいつもそうなのよ」と答えた。それを憶えていたんだ。5月に帰省したときは、わたしの顔をのぞきこんで「お母さんよりシミが多いじゃないのー」と言い、帰京すると細長の茶封筒にシミ取りクリームを送って寄越した。
母の愛、ということを考える。いろんな形の愛がある。