この正月に帰省した折、母校である小学校をふらっと訪れた。わたしが通っていた当時は、創立10年に満たない生徒数1300人超のマンモス校だった。今はだいぶ古びて、たくさんの年月が過ぎたことをそのたたずまいが静かに語っていた。

震災時、ここの体育館は避難所となり物資配給の場になった。線路を挟んで向かいにあるわたしの実家は、ライフラインが止まったものの家そのものには問題がなかったので、体育館に避難せずに済んだ。まさか自分の母校が一時的であるにせよ、ニュースで見た避難所の様相を呈していたなんて、目の前の風景からは想像がつかなかった。
校庭を抜け、校舎の外まわりに向かう。卒業制作である風見鶏のレンガ塔が崩壊し、立ち入り禁止のテープが張り巡らされていた。震災の爪痕は残っていた。敷地続きの幼稚園に向かうと、園庭にブルーシートの山が見えた。もしやと思って近づいたら、除染作業の看板がたてかけられている。集めた土は運び出されることなくシートをかけただけで、園庭内にある。ここに我が子を通わせている親御さんはさぞや心配だろう。先生たちだって不安でならないだろう。

正月で、小学校にも幼稚園にも人影がないだけに、非日常感が色濃く感じられた。が、学校が始まってしまえば、そうした風景は日常化してしまうのかもしれない。汚染物質がそばにあるという状況に慣れてなんて欲しくないけれど、地元に暮らしていない自分が何を言ってみたところで効力などない。