取材行脚で東北へ〜吉里吉里編〜
2012年 04月 16日
沿岸部を進む。何度も報道で耳にした「鵜住居」地区を通る。新聞に載っていた地図ではつかみきれなかった地形や風景が目の前に広がる。瓦礫はすでに撤去され、天気が良く車で通るだけだと、もともとそういう風景なのかと錯覚してしまいそうだけど、目を凝らすと津波の爪痕はあちこちに残っている。開いているお店をよくよく見ると、建て直されたばかりだったり修繕してあったりする。
家を流され避難所暮らしを共にした仲間たちと、吉里吉里再生のために立ち上げたのがこの「吉里吉里国」で、美しい海は山が作るをモットーに山の再生をめざしていくのだという。大地が揺れ津波に襲われた去年の3月11日から「吉里吉里国」誕生までの軌跡を、そのときどきの心情や状況を交えながら詳細に説明してくださったのが代表の芳賀さん。子どもの頃に遊んだ野山のこと、若い人が少ないという大槌町のこと、まだまだ立ち上がれないでいる同じ被災者への配慮、「誇り」について、吉里吉里の山や海の美しさのこと・・・たくさんの話を作業しながらあるいは昼食の合間にしてくださった。それはどれもこれも心に深くしみ通っていく話ばかりで、そしてよそ者であるわたしの心ですらも大きく震わせるような力強い話だった。なんと素敵な人たちだろう。
午前中はLUSHチームも木材の運搬を手伝い、午後は立ち枯れの杉の木の伐採を見学し、小枝を拾うなどした。宮城の栗駒から木材の専門家氏がいらしていて、伐採した木の検分をし伐採時の注意を伝え指導もされていた。芳賀さんは、失うものはもうないから残りの人生を賭けて山を海を再生することに全力を注ぎたい、子孫たちに美しい野山を伝えていきたい、と強く話された。ほかのメンバーの方々も芳賀さんのその姿勢や考えに強く惹き付けられ行動をともにしてきたんだそうで、そこには厚く強い信頼関係が感じ取れた。思わず隆慶一郎の歴史小説に描かれる「もののふ」の姿と重ねてしまう。とても似通ったものを感じたのだ。男の世界だなあと感じ入り、嗚呼羨ましいと久しぶりに憧れるものがそこには横たわっていた。素敵すぎる、眩しいほどに。