新宮での道先案内人・Tさんと合流し神倉神社へ。ここは毎年2月6日に「御燈祭」が行われる神社で、この祭りに毎年参加している装丁デザイナー・N氏や新宮出身のパティシエ・Sさんからこの祭りの奇祭ぶりをすでに伺っていたのだが、奇祭云々以前に神社の鳥居の前から見上げた風景にのけぞった。鳥居の向こうにあるのは、「石段」ではなく「石壁」であった・・・。
新宮市内と太平洋が一望できる社の前に集まった益荒男たちは、開門の合図で500段以上ある石段を松明片手に一気に駆け下りる。Sさんからは「呑んで感覚を麻痺させなきゃ降りられない」くらいに急勾配だと伺っていたが、実際そこを目にし登ってみて「さもありなん・・・」と思った。這うようにして登らねばならないようなところもあるし、きれいにそろっている石段ではないから、足首をくじきそうなほど足場が悪い。「この石段、素人が組んだんじゃないかと思うよね」とTさん。石たちは頼朝の寄進なんだそう。
わたし自身は山登りや山歩きを趣味にしようという気はもとよりさらさらないのだが、5年前の文学旅のときは赤目渓谷を往復6時間かけて撮り歩いたし、今回も山登りみたいなことをしている。目的次第では登りも歩きもするのだなあと我が事ながら今更気付いた。
祭りの日は女人禁制になる御山。女たちは松明片手に駆け下りてくる男たちを山のふもとで待ち受けて歓声をあげるのだそうで、「新宮のどこにこんなに女性がいたんだろうってくらい沢山の女性が集まって、みんなきゃあきゃあ言うもんだからなかなかいい気分になれる」とTさんが笑っていらっしゃった。次回はきゃあきゃあ言いに新宮を訪れよう。
ご神体は「ゴトビキ岩」という巨大岩で、「ゴトビキ」というのはヒキガエルを意味する新宮の方言なんだとか。横から見るとたしかにカエルの姿に似ている。過去新宮を襲った大震災(昭和19年と21年)でもびくともしなかったそうだが、これだけ異様に巨大な岩がどう生まれどうそこに落ち着いたのかが不思議でならない。この石にとっては、学校で教わる歴史の長さなど、ほんのいっときのことなんじゃないかとすら思えてくる。
下りの途中で行き交う人たちと「こんにちは」と言葉を交わす。供える花をもったご老体、三歳くらいの娘を連れたお父さん、出産予定日を二週間後に控えた若い夫婦、さまざまな人が岩場を乗り越え足元に注意しながら高みを目指す。立ちこめる空気は清浄で木々の匂いは濃厚で、整然とした神社では味わえない独特の気配を感じる。神様の存在を信じられるような気に満ちている、とでも言おうか。