新年読む読む・その4
2013年 01月 26日
「爆裂エッセイ 極め道」(三浦しをん/光文社文庫)。本屋に行くたびに、未読のしをんさん作品を探している。文芸コーナーがさほど大きくない書店だったのだが、久しぶりに見つけた。
だいぶ以前の作品で、古本屋でバイトをしながら執筆活動をしていた頃にwebで連載していたものらしい。しょっぱなから脇腹をえぐるように面白い文章を書く人だったんだなあと笑いの合間に思う。「こういう経験、わたしもある!」と共感を憶えることも多々あるのだが、些細な体験でも読みごたえのある文章にまで昇華させてしまう手腕は改めて惚れ惚れしてしまう。そこに描かれる情緒の部分にもとても惹かれる。
しをんさんとは仕事で何度かご一緒させていただいている。最初の仕事がきっかけで彼女の作品をむさぼり読むようになったのだが、二度目のお仕事のときには「好きな作家さんを撮るってどんな気持ちなんだろう」と自分でも興味津々で臨んだ。今振り返ってみれば、「大好きな人にできないヤツだと思われたくない!」って一念で夢中で取り組んでいた気がする。仮想恋愛みたいな・・・、若い侍がベテラン侍と立ち会って「おぬしなかなかやるな」と思わせたいような・・・なんていうか、大好きゆえになおさら通りいっぺんで済ませたくないような気持ちが働いた(もちろん、ご本人や周囲に迷惑をかけぬ範囲で)。場を盛り上げてくれる心遣いの向こうに、深淵を感じさせてくれる方だ。
わたし自身が結婚するとか家庭をもつとかいう脈々と続く価値観に対ししょっちゅう気持ちが揺らぐ(結婚したくなったりどっちでもよくなったり)のだが、その「揺らぎ」とか「あわい」とかいうものを日常風景に折り込みながら丁寧に物語にされていて、どきりとしたりやけに共感したり幻滅したり憧れたりとめまぐるしく心を揺すられた。向田作品もそうだけど、この諸田さんの作品も、5年後に読んだら全然違って読めるだろう。それはこの作品群たちが創作世界の出来事と割り切るにはあまりに生々しく、自分の生活と繋がりそうなくらい身近に思える風景にあふれているからだ。
背景となる80年代がところどころで顔を出す。当時の流行歌や物価もそうだが、よそ様の家(しかも父親の家出先)を訪問するのにきもので出かけたり、客人をもてなすのにすき焼きをこしらえたり、一家でハワイ旅行するのが夢みたいになっていたり、今からすれば古き良き時代の薫り。シチューをルーからこしらえたり年末に黒豆を煮たりする場面が出てくる。出来合いのものを買ってきていたらこの場面は生まれないしこの場面に伴う情緒も生まれない。現代は「便利」という名の味気なさを手にして、どんどん情緒的なものを失っているんじゃないか、とはっとなった。
ぼちぼち「新年」と呼ぶのも気が引ける頃合いだ。読みたい本があったら今年もがしがし購入する所存。何年もずっとかたわらにいて欲しいような、嫁入り先(未定だが・・・)へも持って行きたくなるような、そんな本がたくさん世に出ることを願う。書籍代は人生の必要経費だ!!!
いつも、超参考にしてるわ~
また読んだ本紹介してくださいね!
今回の諸田さんの本、読んでみたいです。
向田作品、随筆集を時々読み返すとほっとします。
あの独特のリズム感が心地いいんですよね。
今回の写真、郷愁を誘う雰囲気ですね。
今回の写真は友人の結婚パーティーで訪れた江ノ島の海の夕景。日立の海が見たくなったけど、日立の海には夕日が落ちないだった・・・
こちらの写真を見ていたら、今度空港とかの風景も撮って欲しいなあ、
なんて思いました。
むーちょさんの記事はいつも読み応えたっぷりでタノシミです。
しをんさんのエッセイ、確かに面白いですよね。
すっきり短くまとめるということができず、長々しちゃいます・・・。ブログでもおしゃべり、ふだんもよくしゃべっているのにしゃべり足りないのかな・・・