背中診断を、受けてみた。
2013年 05月 20日
偶然にも同い年だけど、いちばん最初に逢ったときはちょっと構えてしまったように思い出す。なんでだったのかな。今じゃその理由も思い出せないくらい彼女のまとう空気になじんでしまったけれども。
先週、彼女の誕生日を祝おうと、cafe green gingerのナイトバージョンであるBerryBarEastに深夜集った。事務所で作業していて合流が遅れたわたしは、場の空気も読めずに着くなり「おめでとー!」とプレゼントを渡し、「この後ケーキ食べるんだよね?甘くないお酒で」とバーテンに注文し、発起人である麗さんのサプライズ計画をものの見事に粉砕・・・。残念な人でごめーん!と何度も言って大笑いされて、そうして女の子ばかり4人でのお祝いが始まった。
まみこさんはカウンセリングを仕事にしていて、この日は彼女を祝う集いだというのに、流れでわたしも診てもらった。頭とおでこ、次に背中、最後に腰へと彼女の手が移動していく。手のひらのぬくもりがじわーっと響いてくる。目をつむってそのぬくみに集中する。全身をくるむようなあったかさだ。
「むーちょさんは・・・頭の中がすごくスッキリしてる。過去とか未来とかどっちがとかいうんじゃなくて、とにかく『今』って感じだね」
「背中の羽(肩甲骨)はとてもいい形で大きさで、よく動く。大きすぎもせず小さすぎもせず、こぢんまり。大きい窓があるね。お屋敷の窓みたいな大きいのが。そこからたくさんの情報が行き来してる。で、今は凪いでる」
「(腰に触れながら)根っこのところはお花畑だよ。木があって根を張っているとかじゃなくて、お花畑。きれいな花がたくさん咲いてる」
多分自分はどんな状況でもなんとか切り抜けていくくらいのポテンシャルは持ち合わせているだろうと思えるようになったのはここ数年で。カメラマンをしていけなくなったらなったで、次の手応えをちゃんと見つけられるような気がするし、このままひとりのままでもそれはそれで楽しくやっていけるくらいのバイタリティーはあるんじゃないか。根拠なんて一片もないけれど、自分を信じられるようになった。まあそれも今心身ともにバランスが取れているからに違いなく、そうじゃなくなったときの自分がどうあるかは想像できない。そもそも、バランスが崩れたときの自分なんて想像する必要ない、か。信じてりゃいいんだ。