フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


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ふたたびの「ジョゼと虎と魚たち」

 プレイヤーを買って真っ先に購入したDVDは、くるりの2011年3月7日のツアーファイナル武道館公演と、映画「ジョゼと虎と魚たち」で。ジョゼのほうもくるりが音楽を担当した。この映画を観て、くるりの音が初めて意識の中に入ったんだった。

 公開時に映画館で観た。学生の頃に観たような印象でいたけれど、思いのほか最近だったことにちょっと驚く。公開時のわたしと2014年夏のわたしとでは、10年分年食ったし、その間大なり小なりの出来事があったりして、全く同じというんではない。にも関わらず、観直してみて以前と変わらずに大好きな作品であると再確認したのがなんとなく嬉しい。むしろ、公開時以上に心揺さぶられたような気もする。年食った分、以前よりも感覚の上で見えることやわかることが増えたからかなと思う。年食うのもいいもんだ。

 変わらずに好きでいるものはいったいどれくらいあるだろうって考える。新しいものも自分なりに自分のペースで取り込んではいるけれど、その新しいものたちを以てしても変わらずに大好きなものっていうのは、きっとわたしの中に根っこをおろしたものたちなんだろうと思う。それを育てふくらませていったり、常にじんわりとあったかいものとして後生大事にしていったり、好きなものとの関わり方もそれぞれあるような気がする。ときどき引っぱり出して、どうしてこれがこんなに好きなんだろうと分析してみるのも面白く、自分の思考の再発見や再確認に繋がることがある。

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 「ジョゼと虎と魚たち」を好きな理由は、恋愛の幸せなところと残酷なところをすごく現実的に描いているからで、今回観直してみて新たに感じたのは、自分の駄目なところを知りそれを受け入れたときの敗北感というか苦みというかそういうこともすごくしっかり描かれているのだなというところで、青年と身障者の純愛映画などという紋切り型な説明文じゃ何も伝わってこないよなあと改めて思ったのだった。

 ラスト、ひとりに戻ったジョゼが台所で真剣に魚を焼いているシーンが好きだ。サガンの小説の登場人物に自分を託して「ジョゼ」と名乗り、服装や髪型なんかも彼女が解釈する「ジョゼ」のイメージに仕立てていた彼女が、「ジョゼ」を卒業して本来のクミコに戻るというかクミコになるというかクミコであることを受け入れるというか、そういうことが一気に感じられて、胸に迫ってくるものがある。祖母や恒夫の後ろで社会を見ていた彼女が、ひとりで矢面に立つ、出て行く、そういう、風が通って行く感じ、観直してみて気付いた。その風のたたずまいに、くるりの「ハイウェイ」がものすごく寄り添っている。多分公開時に観たとき、その風を無意識に感じ取っていたから「ハイウェイ」のCDを買って帰ったんだろうけど、あの頃は気付かなかった、風の存在。

 それにしても、だ。40歳、子育てはおろか結婚どころか恋愛もしていないとなると暇である。仕事以外の時間を読書だ映画鑑賞だ落語だ友人ちでご飯だと費やしていられるのもまあ独り身の気安さではあるのだが、それでいいのだと開き直ってもいない宙ぶらりん状態はある意味ちょっと厄介だ。そういうところを殊更好きってわけではないのに、変わらないとはこれ如何に。
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by naomu-cyo | 2014-09-02 13:20 | 映画 | Comments(0)