親しき中にも礼儀あり、なのだ。
2015年 03月 25日
その飲みの席で、言葉の話になった。手紙を添えて小冊子を送ったこともあり、その文章の感想をいただく。文章から受ける感じと実際逢ったときの感じとのギャップがないように、言葉や文章に気を遣うという話をした。自分で言うのもなんだが、真面目で誠実ではあると思う。人の真摯に対して真摯に返せない人はあかんと思うんですよ、というようなことも言った。それは撮影していて思うにいたったことだったりする。ほぼ初対面に近い相手と、酔っぱらいながら延々そういった話をした。途中隣席の男性ふたりも混じった。面白い夜だった。
そんな夜を送り、振り返ったことがある。友人に対して、真摯に向き合っているつもりが度を越してものすごくストレートなもの言いをしてしまい、大いに反省、長い詫び状を書くなんてことが過去何度かあった。また、快不快に関してもできるだけ真摯に伝えるようにしているのだが、不快に関して伝えるのは甚だ難しいということを今更ながら思い知る。不快と書くとなにやら不穏な感じが強くなるので、心持ちがよろしくないと表現するのがちょうどよいだろうか。
「そういうことを味噌もくそも一緒、と言うんだ」と子どもの頃に親から何度も注意された。大人になってからもその言葉は呪文のように時折思い出され、我が身に注意を促す。親しき中にも礼儀あり。人のふり見て我がふり直せ。他者に対して心持ちがよろしくないと感じる前に、他者が心持ちがよろしくないようなことを自分はしでかしてないか。別に万人に良く思われたいだなんて思っちゃいないけど、不快を与えてしまうのは自分だって心持ちがよろしくない。一方で、案外細かいことを気にするタチなんだよなあと我ながら自分の性分を面倒くさいなと思ってもいるのだから・・・厄介だわね。