猫の老い
2015年 04月 26日
「人間も犬も猫も、老いは一緒です。年をとれば動きは鈍くなるし視力も弱くなる、イボもシミもできる。毛だって白くなるし細る。脚だって弱る。徘徊だってする」
それを伺って、これからわたしはこの猫の老いと向き合ってゆくのだな、とするっと受け止められた。同時に、この猫の老後を良きものにしてやりたい、とも思った。
去年あたりからとみに運動量の減少と脚の衰え、聴力視力嗅覚の衰えが感じられるようになった。わたしが帰宅しても以前のように玄関までやってこない。部屋の電気がついてはっと気付きご飯をせがむ。夜鳴きをする。魚を焼いていても気付かない。呼びかけても反応しない。ああ、こうしてできないことが増えてゆくのだなあと切なくなる。でも、食欲はあるしトイレの粗相もしない。毛繕いはしっかりやるし変わらずいびきをかいて気持ち良さげに寝ている。蒲団にもぐりこんできてわたしの顔に自分の顔を寄せて眠る。婆さんだけど、まだまだ生命力がみなぎっている。できないことが増えてもできることの中で日々を健やかに過ごそうとしているように感じられる。そういうことが涙が出そうなくらいに嬉しいしありがたい。
老いるということは生き物の宿命なわけで、それを受け止める姿勢を日々猫から学んでいるように思う。猫も老いるし親も老いる。自分だって老いてゆく。この宿命を前向きに、でも切なさも抱きながら、しっかと向き合っていきたい、そんなことを思う今年の春だ。
最近ですけど、生命って生きると死ぬんだなって
あらたに思いました。
生きるから死ぬ。実に自然なこのサイクル。
自分と関わる全てのいのち、全うさせてあげたいし、
自分もかくありたし、です。