フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


by naomu-cyo
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猫の老い

 過日、ずっとお世話になっている近所の獣医さんに猫を診てもらいに行った。病気とかではなく、あごに溜まった水を抜いてもらいに行ったのだが、ついでに猫の背中のイボについて質問した。そのときの先生のコメントが明解であった。

 「人間も犬も猫も、老いは一緒です。年をとれば動きは鈍くなるし視力も弱くなる、イボもシミもできる。毛だって白くなるし細る。脚だって弱る。徘徊だってする」

 それを伺って、これからわたしはこの猫の老いと向き合ってゆくのだな、とするっと受け止められた。同時に、この猫の老後を良きものにしてやりたい、とも思った。

 去年あたりからとみに運動量の減少と脚の衰え、聴力視力嗅覚の衰えが感じられるようになった。わたしが帰宅しても以前のように玄関までやってこない。部屋の電気がついてはっと気付きご飯をせがむ。夜鳴きをする。魚を焼いていても気付かない。呼びかけても反応しない。ああ、こうしてできないことが増えてゆくのだなあと切なくなる。でも、食欲はあるしトイレの粗相もしない。毛繕いはしっかりやるし変わらずいびきをかいて気持ち良さげに寝ている。蒲団にもぐりこんできてわたしの顔に自分の顔を寄せて眠る。婆さんだけど、まだまだ生命力がみなぎっている。できないことが増えてもできることの中で日々を健やかに過ごそうとしているように感じられる。そういうことが涙が出そうなくらいに嬉しいしありがたい。

猫の老い_a0025490_3305012.jpg
 11年前、まだ外と中とを行き来していた時代に大怪我したのがきっかけで家猫化した。命を失うかもしれないような怪我だったにも関わらず、生命力の強さで切り抜けた。片耳が折れたままという障害が残ったけれど、それからは大病も大怪我もすることなく、日々を過ごしてきた。このたった4㎏ほどの生き物が途轍もなく大きな存在感を示し、泰然自若として母のようにずっとそばにいて、常にわたしを励ましてくれた。嗚呼大きいなあ、って時々改めて感じ入ることがある。この動じなさっぷりはどこからきているのだろう。ほんとうに、大きい。

 老いるということは生き物の宿命なわけで、それを受け止める姿勢を日々猫から学んでいるように思う。猫も老いるし親も老いる。自分だって老いてゆく。この宿命を前向きに、でも切なさも抱きながら、しっかと向き合っていきたい、そんなことを思う今年の春だ。
Commented by team-osubachi2 at 2015-04-29 16:12
ああ、いとおしいものですねえ。
最近ですけど、生命って生きると死ぬんだなって
あらたに思いました。
生きるから死ぬ。実に自然なこのサイクル。
自分と関わる全てのいのち、全うさせてあげたいし、
自分もかくありたし、です。
Commented by naomu-cyo at 2015-05-01 12:13
team-osubachi2さん・・・昔は死ぬということを考えるだけでよくない気がくるような気がして、考えることそのものをタブー視するきらいがあったものですが、震災を経、さすがにこの年にもなりますと禁忌とは思わず、死ぬということ前提で生きることを意識するようになるもんですね。こういう境地が我が身にもやってくるとは。
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by naomu-cyo | 2015-04-26 03:31 | | Comments(2)