月曜日、会員になっている
手仕事フォーラムから代表・久野さん急逝のメールが届き、驚きのあまり大声が出た。なんで?そんなまさか・・・気持ちが様々交錯したのち、深いさみしさだけが残った。
エネルギーのかたまりのような久野さんが亡くなってしまうなんて。もうこの世でお逢いできないなんて。ここ数ヶ月、撮影と手仕事フォーラムのイベントとがバッティングしてお話を聴きに伺えないでいた。1月末の尾山台での学習会でお逢いしお話したのが最後になってしまった。マイペースではあるけれど、これからもっともっと民藝のことを久野さんから吸収していきたいと思っていたのに。あの少年っ気の残る大らかな笑顔と豪快な話しぶりをもう見られないなんて。民藝への愛情とそれゆえの厳しい指摘にもう触れられないなんて。どうにもさみしすぎる。
ご自分が遅かれ早かれこの世を去ることを想定されていたのか、民藝を理解し愛する人たちや後継となる人たちを活動を通して育てていらしたのが、会員になってわずか一年のわたしにも伝わってきた。手仕事が生活の糧にならなければ受け継ぐ者はいなくなるのだ、素晴らしい手仕事を絶やさないようにするにはどうすればいいか、ということをしきりに語り、久野さんがほうぼうを訪れ出逢った美しく実用的な手仕事をたくさん紹介してくれた。久野さんを通して出逢いその美しさや使い勝手を了解したうえで我が家にお招きしたものはたくさんある。我が家の食器棚は一変した。こんな美しさがあったとは、と出逢いを言祝ぎ、使うたびに嬉しく楽しくなる器たちでいっぱいになった。ご飯をこしらえるのがそれまで以上にずっと楽しく貴重な時間になった。たくさんたくさん、影響を受けた。もっともっと影響を受けてのち、自分にとっての民藝というものを改めて考えてみたかった。早いですよ、久野さん。そっちに行ってしまうの、早すぎですよ。
あっちの世界で民藝界のそうそうたる顔ぶれと楽しく民藝談義しているだろうか。
(写真は去年の11月、鶴見のお寺での展示会でお話しする久野さん。手伝いで参加し、撮らせてもらった)