あったかい
2015年 11月 13日
今日打ち合わせに行った先では「武藤さん、お身内を亡くされたんですって」といたわってもらった。撮影終えて夜に逢ったWさんは「残念だったね」と言い、帰り際に「パンってもらうと嬉しくない?」とパンをごっそり差し入れてくれた。
いたわってくれる人たちにぱちのこの夏以降の様子をかいつまんで伝え、最期の姿がせつなかったこと、でも瞳がきれいだったことを添える。渋谷の雑踏を待ち合わせ場所めざして歩いていたら突然、遠吠えのような鳴き声を放つぱちをひょいっと抱き上げて「どうしたのー?何鳴いてんのー?」と言って顔をすり寄せたときのことが思い出されて、目が潤んだりもしたけれど、おいおいと号泣することもなく一日が終わろうとしている。ああ、こうして少しずつ不在の実感を受け入れてゆくのだろうなと思う。
今は猛烈に仕事していたい。来年の写真展の準備もいい加減始めなきゃだし、やることは満載だ。たとえ泣きながらであっても前に進んでいきたい、進んでいかねば。
日付変わっての帰り道、夜空が明るかった。雲の輪郭がくっきり見えるくらいに明るかった。わたしが歩いていた住宅街からはお月さん見えなかったけれど、きっと月が出ていたのだろう。黄泉路も明るく照らしておくれ。
わたしのこの日記が路子さんに元気を注入していたんだとしたら、そのわたしの日々の活動を家で支えてくれたのはぱちです。長く一緒に暮らした人とお別れをしたとき、ぱちとの人生二人旅をなんとしても協力し合って楽しく明るく過ごしてゆくぞ、と奮い立てたのもぱちの存在ゆえでした。
今日は殊更に寒くて、ああなんでぱちはいないんだろう、こんなときはわたしをあっためて欲しいのに、と思いました。ぱちが大好きだったこたつ、四十九日が過ぎるまでは出すのをやめようと思って。わたしだけぬくぬくしちゃ申し訳ない気がして。毎日、ぱちに逢いたいなああのむくむくぼてぼてのおなかをなでたいなあって思います。毎日家に帰るときが一日の中でいちばんしんどい。でもそれにもいずれ慣れて平気になっちゃうんだとしたら、それもなんだかさみしいことですよね。
ぱちはわたしの15年の毎日に虹を架けてくれた存在でした。もうあんなヤツには出逢えないんだろうと思います。