フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


by naomu-cyo
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青森ねぶたへ

 この夏、某水産加工会社の案件で初めてねぶた祭りを体感してきた。この会社は毎年ねぶたを出しており、今年は参加50回目の節目で社長自ら赴くこととなり、ならば取材をということに相成った次第。一度は行ってみたいと思っていたねぶた、仕事に絡めて行けるなんてラッキーと、決まってからずっと楽しみにしていた。

 ひと足先に春の頃、事前取材にも赴いた。ねぶた師という仕事があることをそのとき初めて知る。某会社がねぶた制作を発注しているねぶた師・手塚茂樹氏のチームが、青森湾を臨む公園に白く連なるねぶた小屋の一画で、平面のデザイン画を巨大な立体物であるねぶたに展開するべく、黙々と骨組みを作り上げていた。ゆくゆくはそこに和紙が貼られ色を施され、夜の街を練り歩く。その時点ですでに本番の取材が待ち遠しくなっていた。

 ねぶたに審査があることも初めて知った。ねぶたそのもののみならず、お囃子やハネトも審査の対象になる。列に混じって密着取材するということで審査の差し障りにならないよう、広報さん、編集さん、わたしもハネト装束になる。我ながら、このてのコスプレがよく似合う ・・・。三人そろって小屋周辺を歩いていたら観光客にやたらと一緒に写真を撮ってくれと声をかけられた。稀有な体験であった。

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 青森に泊まりがけで行くのはかれこれ20年ぶりで、そのときは太宰治作品「津軽」を片手に登場する土地土地をめぐる旅だった。青森市にも数日滞在し、ぶらぶらとよく歩いた。夏の終わりの旅で、人気が少なくがらんとして風通しがよく、とても涼しかった記憶がある。ところが今回ねぶた時期に訪れてみたら全く様子が違う。日暮れ前から人がわらわらと出始め、ねぶたが通る沿道を埋めてゆく。この時期は人口の10倍の人であふれ返るという。

 夕方、ねぶたが小屋から出発し、所定位置につく。灯りがともり、花火が打ち上げられ、運行がスタート。囃子の音につられて心が躍り出す。草鞋で固めた足元は、とても落ち着くことに気付いた。足裏の感覚がしっかり感じられるので、ファインダーをのぞきながら後ろ向きでねぶたの列についてゆく際に背後を確認せずとも歩みがしっかりするのだ。新たな発見。ねぶたの列を構成する人は各自役割分担があり、提灯を掲げる人や運行がスムーズにいくよう差配する人、ハネトの列を統制する人、ねぶたの動きを指示する人、そしてねぶたの下に入り込んで指示に従い動かす人(地元の運動部所属の高校生らしい)、お囃子隊などで、それが22体も連なり、2時間練り歩く。夏の夜の暗闇に浮かび上がる極彩色のねぶたたちは血気盛んな出で立ちで、その景色に身体が火照った。冬は雪に埋もれ、閉鎖的なイメージを少なからず抱いていた青森の、猛々しく情熱的な夏の夜の祭り。冬に英気を養い、夏に思う存分爆発させているかのようだった。穏やかそうな津軽人の本性ここにあり、か。

青森ねぶたへ_a0025490_2339519.jpg
 地元の方から話を伺う。この時期に来る人はねぶたは夏だけのものだと思っているでしょう。でも、これが終われば数日後にはねぶたは解体されて、もう来年のねぶたの準備が始まる。忘年会の時期にはデザイン画が出来上がっていて、役割に応じて動き出すわけ。一年の頂点がこの祭りで、でも一年中ねぶたに関わっているんだよ・・・というような話だった。つまり、津軽人は365日ねぶたが運行しているようなものなのか。祭りを守り継続させていくことに費やされるエネルギーのすさまじさを知った。

 祭りの渦中にいる殿方は三割増しレベルでかっこいい。老いも若きもおしなべてかっこういい。中でも扇子の動きひとつでねぶたの動きを操る御仁のかっこよさったらない。この人を撮った写真が多かったのに気付いた担当さんから、「武藤さん、彼の写真多くないですか?」とつっこまれた。かっこよすぎて絞りきれなかった・・・。

 東北で見た真夏の夜の夢はかくも鮮やかで、脳裏にこびりついて当分遠のきそうもない。
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by naomu-cyo | 2016-08-16 23:40 | | Comments(0)