フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


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暮らしのクラフト ゆずりはの東京展へ出かけた日のきもの

 過日、「大人の着物コーディネイトブック」(主婦と生活社)でお世話になった編集さんからお誘いいただき、東北の手仕事を扱うお店「ゆずりは」さんの東京展に、桜新町の呉服屋「なぐも」の女将とヘアメイクのちかさんの4人で出かけてきた。ゆずりはもなぐももちかさんもこの本に登場する面々。何か東北産なものを身につけて・・・と思ったけれど、あいにく米沢の紅花染めの反物は単衣で仕立ててしまいほかになく、去年夏にねぶたの取材で青森を訪れた際に買ってきたこぎん刺しのバッグを持って、自分の生まれ故郷の名産・結城の紬を着て出かけた。帯はおととしの春、祝い事帰りに寄った銀座きもの青木でほろ酔い気分の勢いで買った稲垣稔次郎作の型染めの帯を。

 会場の蔦サロンに入るとそこには東北があふれ返っていた。きものや帯の反物のみならず、ホームスパンやこぎん刺し、塗りの器、かごバッグなどとりどりにあって、かの地の手仕事の幅広さを見渡せた。一見すると地味で手堅いものづくりだが、よく見ると彩りやつややかさが見い出せる。雪に閉ざされる時期が長いゆえに生まれた手仕事もおそらくあるだろう。寡黙なれどこれが東北の美しさであるという意思表示が伝わってくるようだ。どこがどうだからというのではなく、総体として伝わってくる力強さなのであった。

 古布が縫い込まれたこたつ掛けらしい大きな布があり、ベースの地が派手な赤なのが意外に感じたので、ゆずりはの女将にその旨伝えてみたところ、昔の照明は暗いからそのくらいの赤がちょうどいい塩梅に見えたんだと思うの、というご意見だった。なるほど納得だ。以前、浅草のアミューズミュージアムの取材で昔の刺し子の前掛けを撮影したときにも、ほそぼそとした灯りの中指先の感覚だけでこれらが作られたことを思うとすごいのひと言に尽きる、とスタッフの方から説明を受けたのを思い出した。古い手仕事を見るとき、当時の生活環境を念頭に置くのを忘れてはならないのだ。

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 米沢産の絹織物が多い。産地はほかにも多かったけれど皆廃れていってしまい、米沢が今でも続けて生産しているというのが現状ですねと、以前男物のきものを取材した店で教えてもらった。上杉鷹山が奨励した産業は時代を経てなお息づき、今では米沢といえば絹織物や紅花染めの産地として名高い。何年か前に秋田の物産展で観た秋田八丈は、当時作り手が60代とおぼしき女性ひとりだった。今でも果たしてそのままだろうか。会津木綿はふたつあった生産工場のうち片方の主がおととしの暮れに若くして亡くなり閉めてしまった。個人で機織りをしている人はあちこちにいるだろうが、その土地の産業として成立しているのはわずかという印象。これは東北にかぎらずだろうけれども。

 十和田湖そばに店舗があるというゆずりはさんは、冬の間は休業してこうしてあちこちを展示してまわるのだとか。これも雪国が生んだ商いのスタイルなのだろう。その気候風土のおかげでこうしてたくさんの手仕事を青山で見ることができたのだからありがたい。きもの好きの女4人で集まって、あなたそれが似合うわなどときゃあきゃあ言い合い、主の話にしみじみと耳を傾け、気が付けば数時間があっという間に過ぎていた。なぐもの女将が草木で染めたえも言われぬ上品な赤紫色の大判ストールを購入。かわるがわる羽織ってみたけれど、彼女がたしかにいちばんよく似合ってた。

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by naomu-cyo | 2017-02-13 07:55 | お着物 | Comments(0)