2月末だったか、仕事きっかけで仲良くなったKさんからメールが入った。何度かご一緒している彼女の同居人・Mちゃんの同僚Sさんに乳癌が見つかり、来月手術を受けることになった、本人が手術前に写真を撮ることを希望しているのだけど、そういう依頼も受けてもらえるか、とのこと。わたしで良ければもちろん、と快諾した。
乳房を切除すると決断した彼女の意志を尊重し、変に気遣ったり意識しすぎたりせずに、ふつうにポートレイトを撮るという形で臨みます、と伝えたら、わたしがその立場でもそれを望みます、と返事がきた。それからMちゃんとやりとりし、顔合わせを兼ねた打ち合わせをすることになり、今宵三人で酒席をもった。
Sさんは、つい先月わたしが仕事でお世話になった企業に勤めていることがわかり、彼女の職場の先輩がかつて一緒に仕事をした人だということも判明、そんな話から酒席が始まった。共通の何かが見いだせると一気に距離が縮まる。あれこれ話すうちに自然と彼女の癌が発覚した経緯を伺うことになり、わたしも子宮体癌検診で再検査になった過去があったものだから女性特有の疾病に関する話も共有しやすく、彼女にしてみたらしんどいことには違いないけれど、前向きな明るい話をたくさん聴けた。強い精神の持ち主だなと感じ、こうして話せることが嬉しくてたまらなくなった。検査の帰りには暗い気持ちになる、でも病を得たことで生きることに対し新たな考えをもつようになった、という。その感じは、いついきなり死んでしまうかわからないのだから、これが最後の仕事でも後悔しないような仕事をしていきたいと震災を経て自分に誓ったときのことを思い出させてくれた。どんなふうに生を送るか、ほんと自分次第なのだ。彼女の決断も言動もまとっている雰囲気も、全て支持したい。彼女が撮影においてトライしてみたいことを全部叶えたい。そうして彼女がさらに精神力を上げて手術に臨めることをめいいっぱい願う。
今宵のわたしはしゃべりすぎたかな・・・でも彼女の話もたくさん聴けたよね、と振り返る。相手がしゃべりやすいような環境をこしらえるのもわたしの役目。きっといい撮影になる、彼女は撮られる状況をめいいっぱい楽しんでくれる予感がした。こうした極めて個人的な撮影依頼をいただくたびに、あ、自分はまだ大丈夫だカメラマンとしてやっていける、って確信する。レンズの向こうに立つ人の、いつだって味方でありたいと改めて思う夜だった。