かれこれ10年くらい好きな2次元半の殿方がどうやら結婚したようだ。
レコーディング風景の写真の中のその人の左手薬指にきらりと光るものを見つけ、噂にはきいていたがやはり・・・としばししみじみした。「2次元半」の人とはつまり、実在するけど身近ではない人を指し、わたしからすれば木戸銭払ってその晴れ姿を拝みに参るような対象のことを言う。ライブ後にTシャツにサインをもらって握手したことはあるが、私的にはなんの繋がりもない。それでも結婚を知って、青春がひとつ終わったような気になってしみじみした。次の瞬間には、好きな対象がいつまでも独身なのもなんだか・・・だし、おめでとうだよわたしもあやかりたいね、くらいの祝い感は湧いた。
きのう、学生時代の友人宅に遊びに行ってきた。去年秋に逢ったときには寝返りがようやく打てるようになった彼女のダウン症の長男は、今回高速ハイハイと片手でのつかまり立ちを披露してくれた。健常児よりもどうしたって成長がゆっくりだそうだが、子育て経験のないわたしにはまぶしいほどの成長に思えた。こんなふうにして子どもというのは世界を獲得していくんだなということが、ゆっくりな成長のおかげでたまにしか逢わないわたしにもよくわかる。
学生時代に彼女としていた話といえば、恋愛のあれやこれやと「源氏物語」に始まる文学の話くらいしか憶えてない。お互い社会に出てからも、恋愛のあれやこれやは変わらずで、そこにお互いの仕事の話が加わった。ふられた報告を夜中とか明け方に電話してくる彼女に、「話をきいてもらいたかったら相手が話をきける時間帯に電話してきなさい」と説教したのはもう10年くらい前のことだ。その後彼女は同業者の素晴らしく包容力のある男性に出逢い結婚し、一男一女に恵まれ、家を買い、今は仕事を辞めているが、長男が障害をもっていることがきっかけとなって生まれたさまざまなコミュニティーとコンタクトする日々を続けている。独身フリーランス稼業のわたしよかずっと忙しく充実している様子。安心した。
こないだ取材に行った先が子ども医療センターで、ひとめ見てわかる障害をもった子どもたちに大勢遭遇した。正直、驚いた。胎児検査ができるようになり、異常をみつけた場合に中絶を希望する割合などを新聞の記事で読んだことがあったが、それでもこうして多くの子どもが障害をもって生まれてきているのかと面食らった。その話を彼女にすると、「検査でわかるのはほんの一部の障害に関してだけで、100人に3人の割合でなんらかの障害のある子が生まれるものなんだって。この割合は医療が進歩しようと関係ないらしい」と。そこで彼女が資料を見せてくれ、人類という種を継続するために障害を受け取る人が存在するという考察があるのを知った。「なんか不思議なんだけど、長女は自分の子って感じがすごくあるんだけど、長男は預かっているって気がするんだよね」「神様から?」「うん、そんな感じ」と彼女はすごく尊いことのように笑顔を浮かべた。心が粟立った。
ちまちまとした自分事で心をやつしているのがばからしくなってくる、壮大な命の話。手塚治虫の「火の鳥」的世界観のかけらがこんな身近にあったとは。10年前わたしは彼女にちまちましたことでちまちました説教をしたけれど、わたしがちまちまと10年過ごすうちに彼女はちまちま次元から飛び立っていた。そんなこんなも含めて近況一部始終をきいてきて、結果わたしから出たのは「心から結婚したくなった」のひとことであった。このままいくと、間違いなくめんどくさい系独身女になっていく気がした。他者と生活を共にすることを切望する、今度こそ本気で。