フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


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「夫・車谷長吉」(高橋順子/文藝春秋)を読む。

 「赤目四十八瀧心中未遂」にすっかり魅せられ、その地を歩いてみたいと真夏の赤目行きを決行したのはかれこれもう10年も前のことになる。その作者である車谷さんが亡くなって丸2年。奥方である詩人の高橋順子さんが随筆を出版された。「嫁はん」が日々見ていた文士・車谷長吉という人は、作品から想像していた姿以上に変人で、めんどうな人で、繊細で、茶目っ気があって、やさしみのある人だった。死因が誤嚥性窒息と新聞で知り、うっかり死んでしまったかのような印象を受け、当人がいちばん驚いているのではなどと至極残念に思っていたけれど、訃報欄には綴られなかった亡くなるまでの日々のことごとを読んで、しんどい晩年だったのかと想像したら涙が止まらなくなった。

 思えばずっと、小説の主人公と作者である車谷さんとを重ねて読んでいた。肖像権問題で訴えられたり私小説家と言われていたりしたから、書かれていることの大半がほんとのことなのだろうと思い込んでいた。ところが随筆の車谷さんはおもろい顔を随所にのぞかせる。あ、小説は小説なんだなと気付いたのは「世界一周恐怖航海記」「四国八十八ヶ所感情巡礼」(ともに文藝春秋)を読んでのちだ。読者を煙に巻いてふふんと笑っている車谷さんの顔が見えるようだった。しかし生活をともにするというのは、そのおもろい顔だけではなく、負の顔も容赦なく受け止めていかねば成り立たないことが伝わってくる。「夫・車谷長吉」には日々の喜怒哀楽がめいいっぱい描かれていた。恨み言もたびたび述べられているが、それは不意に逝ってしまった伴侶の魂にさみしさをぶつけているように見える。

「夫・車谷長吉」(高橋順子/文藝春秋)を読む。_a0025490_03225677.jpg
 夫の言動がきっかけで絶縁されたり筆禍問題に巻き込まれたりと、ふつうなら見切ってしまっても誰からも責められないような状況でも高橋さんは「嫁はん」であり続け、夫である車谷さんの魂の行く末を見届けた。愛する、という表現は使われていないけれど、この清濁あわせ呑み徹底的に添う姿勢こそがまさに愛するということなんだろうか。楽しい思い出を綴った箇所からも、そうじゃないことを綴った箇所からも、行間から「ひとりはさみしいよ」と車谷さんに呼びかけているような気配がたちのぼるのを感じる。半身を失ってきざすさみしさは、もともとひとりでいて味わうさみしさよりも、何倍もさみしいんじゃなかろうか。それでも出逢って一緒に生きることをめざすようにヒトはできているのだろうと思う。

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by naomu-cyo | 2017-06-19 03:31 | 読書 | Comments(0)