ふだんテレビを観ない。ネットニュースですらチェックしそびれるのだが、新聞をとっている。朝ご飯を食べながら読むのが習慣化しており、読み切れなかったときは晩ご飯の後に腹ばいになって読む。そのまま寝落ちするのもやや習慣化している。我ながら雑な生活だなと思う。
自戒はさておき。過日の新聞の見出しが禍々しかった。でかでかと横たわる白抜き文字を見て、内容は無論この表現手法のインパクトにはっとした。そうだ、印刷物というのは見せ方でいくらでもインパクトを与えられるのだ。
ネットのニュースだと、見出しの級数こそ本文よりは大きめになるが、基本的にどのニュースも同じ様式の見せ方だ。だから、共謀罪法案成立も俳優の淫行問題もパンダの赤ちゃん誕生も淡々と同じテンション同じ文字組で並ぶ。そしてどんどん次のニュースに置き換えられていく。これって無関心や無感覚の遠因なんじゃないの、とふと思った。
新聞を読んでいるからといって、決してアンテナ感度が高いほうではない。新聞がいちばんの情報源だとしたら、その新聞の主張に引っ張られる可能性だってある。しかし紙という存在があると、なんとはなしに起きていることへの嫌悪や不安が気持ちの底にざらっと残るような気がする。感触を伴うからなんだろうか。単に古い部類の人種なのかもしれないが。