フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


by naomu-cyo
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つるむのは女ばかり

 気が付けば、同性とばかりつるむ日々である。仕事の現場でも女性比率が高まっており、世の中にはこんなに異性がいるというのに、わたしは日増しに縁遠くなっているのだなあ(詠嘆調)と感じるこの頃だ。嘆いても焦ってもいない。決して強がりではなく。さもありなん、と思い至るきっかけがあった。

 先日、某ギャラリーのDM撮影を我がアトリエですることになった。出展する某作家氏が当日に作品を持参してくださり、ギャラリー女将と作家氏と三人で軽くおしゃべりをし、撮影が始まると作家氏は帰ってゆかれた。「いい人でしょー、Hさん(作家氏)。ふんわりとしてあったかい人で、周りの人たちがみんな彼には優しくなるの」と女将。「うん、その優しくなる感じ、なんだかよくわかる」と返事をしつつ、はたと気付いた。自分が異性と縁遠い原因のひとつは、わたしが彼らに優しくないからなのだな、と。

 自分で言うのもなんだが、わたしは基本的に同性には優しい。女だが男気出してサポートしたり無理をきいたりするし、ストレートにほめる。おべんちゃらは言わないけれど、素敵なところは素敵だと言うし、かわいいところはかわいいと口に出す。親身に話をきくし、励ましもする。しかし対異性となるとおそらくけっこうきついことを言ったり思ったりしている。男なんだからそれくらいやんなさいよ、と心のどこかで思っている。理想のタイプは優しい人と答えている女子を見ると、「優しいなんてのは当たり前のことなんだから、理想にあげるまでもなし」と考える。その現場の船頭であるにも関わらず決められない男性を見るとイライラする。しみったれもイヤだし、従事している仕事を愛せない人もイヤだ。同性だと許せていることも異性だと許せなくなったりする。おお、優しくないじゃないか、自分。

 これまで異性にモテるということを基準にものを考えてこなかった。モテるための洋服選びも髪型選びもしてこなかった。モテることを意識してそうならなかった場合の損害を考えるとぞっとするからなのかなんなのか、どういうわけかそういう意識が全く根付かなかった。かわいげがないとよく言われたし、自分でもそう思う。尊敬する人も大好きな人もたくさんいるけれど、自分が相手を尊敬したり大好きだと思っていたりしていられればそれでいいと考えているのだと思う。

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 しばらく和歌山で仕事をしていた年上の友人が、そこでの仕事を引き上げて東京に戻ってきた。きのう突然「銀座にいるんだけど、いるならそっちに顔出してもいい?」とメールがあったので、どうぞどうぞと返事をし、1時間後アトリエに「久しぶり」とやってきた彼は、以前逢ったときとなにか違っていた。お茶を飲みながら、和歌山での経験やそこで芽生えた考え、これからのことを話してくれ、現地でこしらえた映像作品を見せてくれた。それを見て思わず、「なにこれ、すごくいいよ!嫉妬する!」と言葉がついて出た。これまでも作品はいくつか見てきたはずなのに、全然気付いてなかったことに気付いた。彼は動画を撮っているにも関わらず場面を1枚絵としてとらえるのがものすごくうまいのだ。そのことを伝えたら、「写真のほうが好きだし、小津映画も好きだしね」と。わたしは「嫉妬するよ!」を何度も繰り返した。和歌山の山の中で、その場に人間は自分ひとりしかいなくて、そういう状況を繰り返していると、自分も動物も境目がなくなるんだよね。ここで川に落ちたら誰にも見つけてもらえないわけ、だからすごく緊張感もってそこにいる。そうすると、何かこう研ぎすまされていくものがあるんだと思う・・・そういう話が聴けた。場所がわたしも好きな和歌山なだけに、南方熊楠や中上健次の話に展開もし熊野古道の話も出て、知っている和歌山ネタを総動員してみたところで全く追っ付かないほど、彼が三年間で体得したものを壮大に感じた。和歌山のというか、紀伊半島の緑の中にすぐさま飛び込みたくなった。もう俺も52だよと話す目の前の人は世間の52とは全然違っていて、最初に逢った約20年前よりもむしろ、みずみずしくシャープだった。人は自然の中に埋没してなにかしらの思想を得るとこうも変化するのかと驚くものがあった。本然に立ち返るというのはまさにこのことじゃないか。

 哀しい哉、最近では縁遠い異性とじっくり話をする機会。今回その稀なる機会で一閃きらめくものが走ったような気がする。都会のあらで飯を食いながら、それでもなお濁らない傷つかない何かこうたしかなもの強いものを自分の中に打ち立てていきたいんだな、きっと。「マレビト到来」。折口信夫いうところの「マレビト」とは意味合いがまるで違うけれど、彼は今のわたしにとってたしかに「マレビト」であった。

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by naomu-cyo | 2017-04-26 04:19 | 逢った人のこと | Comments(0)