クロアチア戦雑感
2006年 06月 20日
ここのところワールドカップと米原万里さんの本に心を奪われまくっている。きのうは昼間は米原さんの「ヒトのオスは飼わないの?」を読み耽り、夜は渋谷のお店で日本対クロアチアの試合を観戦。好きなことにのみ捧げた一日。そんな日の翌日は朝4:50に集合して群馬行き。サッカー観戦の疲れがたたってか、帰りのロケバスでは力尽きていた・・・。
スポーツ中継は自宅の小柄なテレビの前であーだこーだ言いながら観るのが常な自分にとって、20数人でひとつのモニターを凝視し声援を送り続けたのは初めて。友人ちいちゃんがこの夕べに誘ってくれた。早速サッカーをこよなく愛し日本代表を応援する友人数名に声をかける。みんなふたつ返事で参加表明。
指定されたお店に着き案内された個室に入った途端目に飛び込んできたのがジャパン・ブルー。みんなすでにユニフォームを着用。わたしもそそくさとユニフォームを着込む。誰かに「11番SUZUKI」を指摘されるだろうなあ・・・と思っていたらやはり突っ込まれた。
大勢での観戦で一体感を味わった。声援がひとつになるしファインプレイには惜しみない拍手がわき起こる。試合中心臓をばくばく鳴らし声援と拍手を送った。
拍手喝采がいちばん大きかったのは川口がPKを止めたシーン。もう悲鳴に近かった。その後クロアチアがシュートを外しまくるのを観て隣りの松尾氏と「クロアチアは絶対点が入らない気がする」とか「シュートが決まらない無間地獄に堕ちたんだ」とか願うような気持ちで言いまくった。何度も言っていれば願いが叶うのを信じているみたいに・・・。
結果、駄猫・ぱちの託宣(?)通りに「ドロー」になったわけだが、それによってブラジル戦が全くの消化試合になったわけではないのが救いだ。微々たる可能性であっても、ゼロよりはまし。まだまだ希望を持って観られるから。
再三チャンスがあったのに決めきれなかった両チームはやはり決定力不足なのだろう。得点力があるチームを観ていると、ゴール前でボールを受けたら躊躇のかけらも見せずにとにかく足を振り切っている。打てば入るかもしれない。打たなきゃ何も起こらない。考えている暇なんてないんだ。写真を撮るときにもこういう瞬間ってある。
玉田のパスのようなゴールは思い切り的を外れた。このシーンで思い出したことがひとつ。泣く思いで通っていた教習所で何度も「ほらほら車が右に寄って行ってるよ。そっちばっかり気にして見てるから車も目線にひっぱられていくんだろ。進行方向をしっかり見ろ」と言われたこと。もしかしたら・・・あのとき玉田はゴール内を見ていなかったのかもしれない・・・もちろん玉田に訊かなきゃわからないけど、身体は右サイド側に開いてた気がする。決めるためにはその方向をしっかりみつめていなきゃいけないんだ。無茶な位置や体勢でボールを受けたにもかかわらず決まっているゴールというのは、何がなんでも身体をゴールに向けているような気がする。
この日の中田もすさまじかった。勝ちにいく執念が誰よりもプレイに反映されているように見えた。自分の強い気持ちを体現できる肉体も体力も精神も技術も兼ね備えた選手。そんな選手の勝利を喜ぶ顔が見たい。
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「シュートが決まらない無間地獄に堕ちたんだ」
日本も堕ちてしまいましたね。
シュートを打つ前に、自分の中でゴールのイメージが出来ているかどうか、これが大きいと思います。運転中にカーブを曲がる際、先を見渡してコース取りをイメージしないと曲がれないのと同じです。ゴールをイメージする練習を普段から繰り返し、そして普段のリーグ戦でそれを実戦しているかどうか。イメージが出来ていれば、無理矢理でも体がゴールに向かうと思います。残念ながら日本のFW陣はそれが出来てない、ということだと思いました。
ブラジル戦に、奇跡を信じましょう!
引き分けは悔しいけど、98年のクロアチア戦での負けを考えれば、勝ち点1とれたんだから、ブラジル戦ではもっと上をめざしたいね!
コツコツいけばいいんさ。
でも、FWの決定力はどうにかならないか…って随分前からいわれてるんだよね…。ああ、でもFWが決めて欲しい。
イメージはできているっ!
大久保セレッソ復帰。仕切り直しでがんばって欲しいものです。まだまだ輝けるし次狙えばいいんだし。
FWに関しては2日でなんとかするとかそういう段階ではない事がハッキリ
分かってるので、逆に開き直ってやるしかないですね。
川口はホントに逆境強いですねー、俺も雄叫びを上げました(笑)。
今の宮本の調子考えれば(連携はまあまあかもしんないけど)坪井入る
方が良いかもとは思います。
にしても日本にとって苦しいワールドカップになっちゃって残念です。
ブラジル戦も深夜から叫び通します(近所迷惑)。
遠い国で選ばれた誰かが頑張っているとなれば、
眠い目をこすらざるを得ないでしょう。
夢を見させてくれる戦士がいるならば、
僕らは夢を見続けなければなりません。