6月19日という日
2004年 06月 21日
今年の6月19日はこういう日だった。
6月19日。この日は太宰治の命日。学生のころ、三鷹にお墓参りに行ったことがあった。どういうわけか日にちを間違えてでかけてしまい、「桜桃忌」のイベントが行われているはずなのにそこはひっそりとしていた。後日改めて訪れたとき、墓前には彼を偲んで訪れた人たちが供えた煙草とお酒がたくさん並んでた。
高校3年のときに初めて彼の作品を読んだ。大学時代は本を読んでいればいいような学部にいたせいもあって、ほかの作品にも次々と手を出した。忘れられない作品がいくつもある。「斜陽」「ろまん灯籠」「ヴィヨンの妻」「右大臣実朝」「惜別」そして「津軽」。この「津軽」を片手に青森を1週間ほどぶらぶらしたことがある。ねぶた祭りも終わって肌寒くなってきた夏の終わりの青森はひっそりしてさみしくて人恋しかった。青森県内のあちこちに太宰の文学碑が残っており、彼と彼の文学が亡くなって50年以上たってもなお色あせないでいることに感動を覚えた。
彼の作品に宿る普遍的な要素ってなんだろう、人をひきつけてやまない何かがきっとあるにちがいない。太宰文学は時代が変わっていっても継承され息づいている。読み返すたびに新しい発見がある。6月19日を迎えるたびにいつも歩き回った青森のことやさまざまな作品のことなどを思い出す。
ある人にとっては結婚記念日、ある人にとっては命日。6月19日は私にとって少し特別な日。