いざゆかん、京都音博!〜音博翌日〜
2007年 09月 27日
受験しようかとまで思ったことのある龍谷大学と西本願寺のそばをうろうろし写真を撮っていたら、キャノンのカメラをぶら下げた日本語が達者な外国人に話しかけられた。しばしそこで立ち話をし、西本願寺内をともに散策。アイルランドの人である彼は昭和15年生まれで、かつて西陣に住まい、今は中国雲南省で暮らしているという。日本文化の研究をしていたと思われる話しぶり。「一緒に行ってもいいですか」と言う彼を伴いめざすは壬生寺。地図を頼りに歩いたけれど、ずいぶんと距離があった。彼は新撰組は知らないという。まあ、文化ではないからしかたない。
壬生寺境内にはどう考えても大河ドラマのタイミングで建てたとしか思えない新しめな建物があった。これと同じようなことが前にもあった。そう、あれは晴明神社だったな。この新しめ建物の受付で入場料を払って隊士の墓参りをした。近藤勇の遺髪塔、芹沢鴨・平山五郎の墓などなど。近藤勇にいたってはたしか三つ四つ墓があるんじゃなかったかしら。三度目の新撰組関係の墓参りとなった。
壬生寺を出たところでアイルランドの人とさよならする。齢六十過ぎだし随分とあてずっぽうに歩かされ相当疲れたに違いない。申し訳ない。が、せっかく来た京都なのだから、新撰組めぐりは譲れないのだ。その後、寺そばの八木邸へ。ここは近藤一派が芹沢一派の寝込みを急襲した場所。現在住まっている方から家に伝わる新撰組四方山話をきき、急襲の折りにできた刀傷などを見せていただく。見学しつつ壁や柱などに触れてみる。思いのほか部屋は狭く、ここに二本差しの物騒な輩たちが大勢寝起きしていたかと思うと、さぞや八木さんは恐ろしかったろうと思う。縁側で庭を眺める。隊士たちもここで煙草など吸いつつ血なまぐさい日々の束の間平安の時を過ごしていたんだろうなあ・・・などと思いを馳せた。
京都は歴史的な物件の宝庫だけれど、思うに、いくらなんでも紫式部や清盛、秀吉の時代は途方もなく昔な気がして思いを馳せにくい。幕末にしたって140年も前のことだけれど、京都の長い歴史で考えるならばほんの最近のような気がし、まだどこかにその当時の匂いが残っているような気もして、ついつい時代小説から得た情報をもとにして勝手気ままに想像の翼を広げてしまう。それがまた旅の醍醐味でもあるのだ。来年こそは義経コースをめぐりたい。鞍馬の山で天狗に会おうではないか。
(写真は京都とまったく関係ない東大キャンパス)
「お伊勢参り〜後編〜」お楽しみくださいませ!http://www.mu-cyo.com/