フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


by naomu-cyo
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隠岐、中の島、海士町へ。

 「うかたま」夏号の撮影で隠岐・松江方面へ。ここの仕事で泊まりがけの遠出は初めて。しかも「渡米」(米子行き)。三度目なれど今回は米子ではなく、七類港から高速船で隠岐の菱浦へ。乗船場で某制作会社から電話が入る。「先方が実データ欲しいって言うんだけど」「えっ?仮データでいいって言われてましたよ。それに隠岐に行くから週末のデータのやりとりはできないですけど大丈夫ですねと念も押しましたし」「説明してたよね。仕方ないよね」「ハイ、今から隠岐に渡ります。只今鳥取です」「もう鳥取なの?ははは、そりゃ無理だ」・・・という冷や汗もののやりとりが。

隠岐、中の島、海士町へ。_a0025490_251098.jpg 隠岐と松江はおととしのゴールデンウィークに「裏日本」のメンバーたちと訪れた。今回はあのときとは違う島に渡る。撮影内容もそこそこに「隠岐・松江方面」に行ける喜びばかりが先行していたので、道中編集者と打ち合わせ。最終日、松江に友人ふたりが駆けつけてくれることに。再会もまた楽しみ。菱浦には民宿の若い衆が迎えにきてくれた。この日は移動のみで、着いてすぐ魚介づくしのご飯をいただき風呂に入って21:30には就寝。美容にいい。

 翌日は6:30に起き朝食後迎えの車に乗って海士町へ。天気は雨。この島の風景は今まで訪れた島々とは趣きが違って、田畑がとても多い。海が見えないと島にいることを忘れてしまう。海士町には島民以外にもあちこちから人が集っていた。10:00くらいからほぼ通しで夜まで撮影。夜は夜で地元民と学生の車座になっての交流会にまぎれ島の酒「承久の宴」(だったっけ?)をいただく。承久の乱ののち後鳥羽上皇が流されたのがこの島。天皇だった人だからせめて都と交易があるところに、というわけでこの島になったらしい、都に塩を納めていたんだそうな。隣りに座った漁師のおやじはかなり出来上がっていて、一生懸命話してくれるんだけど半分は不明瞭。よそ者に対してとても理解がある町だった。

 民宿に戻り塩ぼた餅をいただく。おいしくて飲み会の後だってのに大きいのを二個平らげる。旅先に行くとほんとよく食べる。日付が変わる前に就寝、至極健康的。最終日、海が時化て高速船は欠航。天気がいいのでフェリーに乗る前に島の絶景ポイントに連れて行ってもらい風景の撮影。空と海、青さの青の種類が違う。視界が青だらけに。
隠岐、中の島、海士町へ。_a0025490_2512448.jpg
 3時間半のフェリータイム、めいめい横になっている。船内は光であふれているってのに皆寝てる。船酔い対策らしい。揺れがけっこう激しくわたしも横になる。波のうねりが身体に響いて魚になったような気分。

 境港に着くと、米子のデザイナー圭さんとカメラマン雄一君が出迎えてくれた。そこからラストの取材先・松江へ。ふたりとは去年上京の折に新宿で飲んで以来。取材先は茶室が五つもある大きな日本家屋で、主が「車で送ってくれた人もお呼びなさいよ」とおっしゃってくれたので二人を呼び戻し、和気あいあい楽しい取材となった。フェリーに時間がとられたこともあり、飛行機の時間まであまり間がなく、ゆっくりお茶をするわけにもいかず移動中あれこれしゃべるに留まってしまった。米子のふたりに大変お世話になった。再会も含め楽しんでくれてたらよいのだけど。米子には並々ならぬ愛着を持っているのでまた行きます。
Commented by じゅんのすけ at 2008-03-31 13:11 x
あちこちに飛び回ってるね!
俺は帰省しても足がないからどっか行ったりすることはあまりない。隠岐もまだ行ったことないんだ。
東京の喧噪に慣れていると、あっちは人がいなさすぎて淋しいくらいじゃないかな?閑散としてるというか…。
Commented by naomu-cyo at 2008-04-01 17:13
じゅんのすけさん・・・たしかに足がないと辛いかもですね。今回は米子の友人にえらく助けられました。隠岐、いいところでした。きっと島に四tてもそれぞれ微妙に違ったりしているのでしょうけど。実家には松江の和菓子を購入しました。
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by naomu-cyo | 2008-03-28 02:51 | | Comments(2)