隠岐、中の島、海士町へ。
2008年 03月 28日
隠岐と松江はおととしのゴールデンウィークに「裏日本」のメンバーたちと訪れた。今回はあのときとは違う島に渡る。撮影内容もそこそこに「隠岐・松江方面」に行ける喜びばかりが先行していたので、道中編集者と打ち合わせ。最終日、松江に友人ふたりが駆けつけてくれることに。再会もまた楽しみ。菱浦には民宿の若い衆が迎えにきてくれた。この日は移動のみで、着いてすぐ魚介づくしのご飯をいただき風呂に入って21:30には就寝。美容にいい。
翌日は6:30に起き朝食後迎えの車に乗って海士町へ。天気は雨。この島の風景は今まで訪れた島々とは趣きが違って、田畑がとても多い。海が見えないと島にいることを忘れてしまう。海士町には島民以外にもあちこちから人が集っていた。10:00くらいからほぼ通しで夜まで撮影。夜は夜で地元民と学生の車座になっての交流会にまぎれ島の酒「承久の宴」(だったっけ?)をいただく。承久の乱ののち後鳥羽上皇が流されたのがこの島。天皇だった人だからせめて都と交易があるところに、というわけでこの島になったらしい、都に塩を納めていたんだそうな。隣りに座った漁師のおやじはかなり出来上がっていて、一生懸命話してくれるんだけど半分は不明瞭。よそ者に対してとても理解がある町だった。
民宿に戻り塩ぼた餅をいただく。おいしくて飲み会の後だってのに大きいのを二個平らげる。旅先に行くとほんとよく食べる。日付が変わる前に就寝、至極健康的。最終日、海が時化て高速船は欠航。天気がいいのでフェリーに乗る前に島の絶景ポイントに連れて行ってもらい風景の撮影。空と海、青さの青の種類が違う。視界が青だらけに。
境港に着くと、米子のデザイナー圭さんとカメラマン雄一君が出迎えてくれた。そこからラストの取材先・松江へ。ふたりとは去年上京の折に新宿で飲んで以来。取材先は茶室が五つもある大きな日本家屋で、主が「車で送ってくれた人もお呼びなさいよ」とおっしゃってくれたので二人を呼び戻し、和気あいあい楽しい取材となった。フェリーに時間がとられたこともあり、飛行機の時間まであまり間がなく、ゆっくりお茶をするわけにもいかず移動中あれこれしゃべるに留まってしまった。米子のふたりに大変お世話になった。再会も含め楽しんでくれてたらよいのだけど。米子には並々ならぬ愛着を持っているのでまた行きます。
俺は帰省しても足がないからどっか行ったりすることはあまりない。隠岐もまだ行ったことないんだ。
東京の喧噪に慣れていると、あっちは人がいなさすぎて淋しいくらいじゃないかな?閑散としてるというか…。