自己作品の焼き直し、マンネリ化の打開めざして。
2008年 06月 19日
I氏には常々いろいろと相談にのっていただいたりサポートしていただいたりしている。写真家さんたちと接する機会の多い方なので、そこで得た話や感想や見解などを伺うのは、自分にとってとても勉強になるひととき。「撮りたいものを撮っている人と撮るべきものを撮っている人とでは写真が与える印象が違う」という話、表現する人における器用不器用の話、さらけ出すということ、常に変化しているのにその人の作品であることに違和感がないこと、等々・・・。話しているうちにここしばらく自分の中にあった危惧感が露見していくような気持ちに。
旅写真を暗室で焼きながら、ふと「これと同じような写真を前にも撮った」と気付くことが何度かあって。違う街を訪れてるのに似てくる写真の数々。これを自己作品の焼き直し、つまりはマンネリ化と呼ばずになんと言おう・・・。そういう風景や瞬間に毎度反応してしまう自分がいて、でもまあそういうのが好きだからしゃあないやとなんとなく流してしまっている。そうして、そういう写真を撮れそうなところばかりに好んで出かけている。
こういうことは何度も繰り返されると思うけど、その都度その都度ちゃんと立ち止まって考え悩まないとほんとの意味で前に進めないような気がする。入ってきた仕事を消化する一方ではなく、並行して作品は作品として撮り続けたい。そのためには「しゃあないか」とか言っている場合じゃない。きっと、まだまだ出てきてない内面みたいなものがあるはずで、それをいかに写真に反映させていくかを意識するのはとても大事な気がする。
その類の話ばかりをしていたわけではないけど、I氏の指摘があまりにも図星だったので、自分へのハッパ掛けとしてこうして書き残す。わたしはこれからどんなものを撮りたいと思い、撮るべきだと思うようになるのだろう。迷走を続ける中でもやっぱり作品は撮っていきたい。迷走する様をリアルに残しておきたい、かっこつけないで、オブラートに包んだりなんてしないで。月影先生はマヤに「うまい演技と魅力のある演技とは違うわ」と言った。もちろん自分の写真がうまいとは全く思っちゃいないけど、魅力のある写真は撮りたい。それは望んでどうなるものでもないだろうし、本来目的にするものでもないのだろうけど、やっぱり魅力的な写真に自分は吸い寄せられるから。
こないだ40代後半のカメラマンさんが「40過ぎて写真が変わったなって思ってさ。随分良くなったと思う」と話していたっけ。試行錯誤しおそらくドアを叩き続けて得た変化。変化していくことを拒まなかっただろうし探求心を失わないその姿勢はえらくキラキラして見えた。的確な指摘をしてくれる人もキラキラを放つ人もごく身近にいて、それは自分にとって大きな財産だとしみじみ思った。こんな心境だからなおのこと、その存在の大きさの計り知れなさに気付く。
ウェブサイトを更新しました!2007年夏の旅フィナーレ。雑賀崎から御坊・湯浅へ。全長2.7kmの紀州鉄道、しょうゆの匂いのする湯浅。楽しい夏の思い出写真。http://www.mu-cyo.com/
きっと迷いながら進んでいくことができますよ。
大丈夫!