「特攻花」写真展。
2008年 08月 04日
戦争物に興味を持ったのは小学3年生のとき。「はだしのゲン」の実写版を観て「戦争って何?」という疑問に駆られ、図書館に行って戦争関連の本ばかり借りあさった。終戦記念日が近付くとテレビで映画やドラマを放送していたので、戦争によって引き起こされたさまざまな出来事を知ることができた。それらはたいてい「被害者」つまり国が参戦したことで巻き込まれた民衆目線なものが多かった気がする。
最近は現場で戦っている兵士を取り上げた作品が多いように思う。この傾向はなぜなんだろう。戦わざるをえず散っていった彼らもやはり国家の「被害者」だからか。そういうことを思いながら写真展を観た。写真家・仲田千穂さんが19歳から26歳にわたって撮り続けた「特攻花」の咲く風景と特攻隊の生き残りの人たちへのアプローチは、「これを撮らずにはいられない」という思いにあふれ、「彼らの思いをなんとか伝えてゆきたい」という熱意にあふれていた。もっともっと知りたいって思った。それらを見て「あの戦争はこうだった」なんて、戦後生まれの自分が総括するなんて無理だけど、知らないでいてはいけない、もっともっとたくさんの言葉を話を知りたいって思った。
18歳なんて、なんにでもなれちゃう気がして夢も希望もふくらみまくるようなキラキラした時代なはずなのに、生命の終わらせ方まで指示されて、それが米軍の戦艦に突っ込むことだなんて。仲間が操縦する飛行機が目の前で撃墜された光景が忘れられるか。そんな強烈な瞬間を目の当たりにしたらその記憶に苦しめられるだろう。自分の人生が自分のものでなかった時代は全然遠くなってなんかなくて、今の繁栄だって敗戦あってのものだと思うのに、哀しい哉日常そういうことを意識して暮らしちゃいない。生き残りの人たちや許嫁を特攻で失った女性は60数年もの間ずっと戦争の記憶と寄り添って生きてきた。それはいたましい生以外の何ものでもない気がする。
上京したての頃、学校に行く途中渋谷駅のバス停付近に座り込みをする傷痍軍人を何度か見かけたことがある。片腕がなく、白い布に毛筆で何かしら書いてあった。けっこうな年配で、彼の周りだけタイムスリップしているような光景だった。今思えば、彼の中でも戦争は終わってなかったのだ。
なぜあの戦争は起こったのか、誰が引き起こしたのか、大陸でほんとは何が起きたのか等々国家レベルでの分析や検証は専門家に任せて、わたしはこれからも個々人の中の戦争がどういうものであったのかを知っていきたいと思った。
写真展「『特攻花』って知ってる?」は8月10日まで。スパッツィオ・ブレラ銀座(中央区銀座1-4-3)にて。