「尼門跡寺院の世界」展へ
2009年 05月 10日
春雷や 柔い眠りを 切り裂いて
最近正岡子規関連の本を読んでいるので、なんでもかんでも五七五におさめたくなる。下手の横好きもいいところだ。先日更新したウェブサイトには松山に寄せておこがましくも子規の俳句と自分の俳句を並べてみた。「子規も見た 漱石も見た 桜哉」・・・うまいこと言葉が五七五にのった。
昼過ぎに着物に着替えて家を出る。東京芸大美術館の「尼門跡寺院の世界」展を見に上野へ。皇女として生まれ嫁ぐことなく寺院の住職におさまるというのがどうもわかりにくいなあと歴史小説を読むたびに思ってきたのだけど、その疑問は相変わらず解けなかった。それもそのはず、出家する過程ではなくその後の生活にスポットをあてた展示なのだから。
見ていて空想が広がった。修業の場でありつつも文化サロン的要素もあったそうだ。そこには御仏の弟子である彼女たちがまとう素朴で清浄な美しさがあふれていた。「散華」という言葉を美しいと感じていたけど、それ自体を見たのは初めて。文字通り美しかった。雄々しさ、ではなく、あくまで女性的で柔らかい感じが随所に見て取れる。その一方で血で綴られた文字、髪の毛が織り込まれた経文、爪を使って構成された文字もあり、修業における身を削るストイックさにも目を奪われた。
そういう感情があるということを知らないで過ごせば何も気にかかることなく過ごしてゆけるのだろうか・・・たとえば物欲。たとえば恋。たとえば嫉妬。たとえば・・・挙げればいろいろある。それともそういう感情などとっくに超越したところで生きているのだろうか。外界のさまざまな出来事に反応し泣いたり笑ったり憤ったりして生きている自分としては、その閉じられた修業三昧の日々の中でどういう感情を催しながら過ごしているのかにとても興味がある。脳内に広がる世界はどんなだろう。閉じられていると感じるのはこちらで生きる側が勝手にそうイメージしているだけで、当人からすれば豊穣で満たされた広い世界を有しているのかもしれない。欲の多い自分には推し量るのが難しい。
久々にウェブサイトを更新しました!今回は松山の桜たちの写真です。http://www.mu-cyo.com/