「む一ちょ写真日記」
2023-08-31T02:45:01+09:00
naomu-cyo
フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。
Excite Blog
サルスベリ
http://muucyo.exblog.jp/241915092/
2023-08-30T21:48:00+09:00
2023-08-31T02:45:01+09:00
2023-08-30T21:48:39+09:00
naomu-cyo
読書
住宅街を歩いていれば必ずのように見かける手近なその花の盛りがいつなのか、そのくしゃくしゃっとした花の形状からはどうもうかがい知れない。いつの間にかあっちでもこっちでも咲いていて、いつの間にやら見かけなくなる。花をつけていない時分には、猿も滑るというそのツルツルの幹に気づきもしない。それでも花全般に対する情緒の足りない私にしてみれば、ほかの花よりも十分気にかけている部類に入る。
サルスベリが気に留まるきっかけになったのは作家・梨木香歩さんの小説「家守綺譚」で、どうしてこの作品を手に取ったんだったか今ではすっかり忘れたけれど、最初の一編のタイトルが「サルスベリ」だった。
ある嵐の晩、庭のサルスベリが激しく硝子戸を打ち付ける。「平常はどう風が吹いても花房の先が硝子に触れるほど」なのが、その晩は「サルスベリの花々は硝子に体当たり」を繰り返し、「その音が、次第に幻聴のように聞こえてくる。・・・イレテオクレヨウ・・・」。家人・綿貫征四郎はあまりの風雨の激しさに雨戸を立てる気にもなれず座敷の布団をひっかぶって凌いでいる。そこに、「キイキイという音」が「床の間の掛け軸の方から聞こえ」てきたかと思うと、(掛け軸の)向こうからボートが一艘近づいて来る。漕ぎ手は琵琶湖で亡くなったはずの友人・高堂で、その彼が告げるのだ、「サルスベリのやつが、おまえに懸想をしている」と。それを聞いた綿貫は高堂の助言に従い、これまでのようにサルスベリを撫でさするのはやめにして、根方に腰掛けて本を読んでやることにした。
・・・と、大体そのようなあらましの一編で、床の間の掛け軸が彼岸との接点になっていることや亡くなったはずの友人と何のためらいもなく話し始めることなど気になる点はほかにもあるのだが、私はそういうことをすっ飛ばしてただただ「サルスベリのやつが、おまえに懸想をしている」という一文にすっかり参ってしまい、この「サルスベリ」から始まる「家守綺譚」に心を持っていかれた。そしてその後夏を迎えるたびに実風景の中のサルスベリが幾度もこの物語に私をいざなう。
春先から月に一度、北鎌倉のとある日本家屋に撮影に出掛けている。その家に保管されている大量の資料の中から編集者が進行中の書籍案件に使いたい資料を引っ張り出し、私は2階の自然光がよく入る部屋でそれらを撮る。資料のほかにインテリアも撮るし、家に伝わる着物も撮るし季節ごとの庭も撮る。つい10日ほど前の撮影では、咲きっぷりのピークは過ぎたけれどまだまだ花をつけている大きなサルスベリの木を撮影した。幹は2階に届く高さで横に広く枝を伸ばしている。見上げないと花そのものは見えないが、咲いていることは足元の飛び石に落ちた花弁でわかる。
この北鎌倉の家でサルスベリの存在に気づいた途端、「家守綺譚」の綿貫征四郎が住まう家を連想した。綿貫の家はここより少し広いくらいだろうか、庭に琵琶湖の疏水を引き込んだ池があるというし。いや、ここ北鎌倉の家も今は涸れているけど池の跡があるなあ・・・輪郭が定かではなかった物語上の家が突如具体化し、自分がそこに立っているような錯覚に陥る。
次回この家を訪れる時はそうだ、床の間の掛け軸を眺めてみよう。そこからボートを漕ぐ音がして男がぬっと現れる想像が容易にできるかもしれない。
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4月、一瞬で暮れた
http://muucyo.exblog.jp/241440296/
2022-05-03T03:25:00+09:00
2022-05-03T03:27:22+09:00
2022-05-03T03:25:08+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
褒めてもらう機会がやたら多いひと月でもあった。別に褒めてもらいたくて写真を撮っているわけではないけれど、褒められたらやっぱり嬉しい。あ、大丈夫ね自分の方向性は、と確認もできる。生きていくための術として選んだ仕事だから、評価されれば次の幕が開く可能性が生まれ、結果首がつながる。
とはいえ、常に背水の陣であることに変わりはない。調子がいいときでも常にそういう念を持ちながら暮らすことにさすがに慣れた。この2年間続いているコロナウィルスの蔓延がもたらした影響のひとつと言えるだろう。老後の不安を先取りして備えていたって、いったん強力なウィルスが蔓延したら全部ひっくり返るのだ。先取りして憂えたって無駄だ。極端だけど、明日はどうなるかわからないから今日目の前のこの仕事をめちゃめちゃ頑張るのだ、今日は今日、明日は明日、いちにち一日なのだ・・・ちゃんと心からそう思えるようになってからなんだか強くなった気がする。ある意味これもウィルス耐性。
この連休は前半は作業と撮影、後半は帰省すると前々から決めてあったから、連休前にひとまず仕事は片付けておいた。時間を調え、前半の作業・・・動画の編集に取り組む。やってみて気付くこと知ることがたくさんあって、目はしょぼつくし老眼がいよいよ始まった気配が薄々あるのだけど、この作業がやたら面白い。まだちゃんと仕事化はしていなくて、スチールの撮影を受注した折に試しに動画も撮らせて欲しいと申し出て撮り、編集も試みている。そうでもしないと覚えられないと思ったから。
作業をしているとあっという間に日が暮れる。今日も朝からずっと作業して、気付けば夜になっていた。まだまだひ弱なスキルだけど、20代から30代前半まで映画を見まくっていたのはおそらくとても役に立っていて、どんなに短い動画でもストーリーを感じられるものにということを念頭に置いている。
明日からはウェブサイトのリニューアル作業に着手する。去年の今時分、リニューアルを掲げたけれど頓挫した。今度こそはと思い、作業の段階ごとに締切を設け、友人に見張り役になってもらい、締切を破ったらペナルティで罰金を払うことに決めた。友人は「嫌いな政党に寄付されたくなかったら締切厳守ね」と言っている。最初の締切は連休末日、ウェブ全体の構成を決めるところまで。すでに時間が足りなくなっている。
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食わず嫌い返上
http://muucyo.exblog.jp/241412751/
2022-04-05T09:33:00+09:00
2022-04-07T13:17:38+09:00
2022-04-05T09:30:55+09:00
naomu-cyo
読書
ところが。アニメ「平家物語」が放映された途端、原作になっているその作家が現代語訳した「平家物語」をむしょうに読んでみたくなった。そういう人が多かったのだろう。リアル書店でもネット書店でも売り切れで、版元のウェブサイトで増刷中であることが知れた。待ち望んだ入荷予定日、すぐにネット書店で購入手続きをし、じりじりしながら発送通知が来るのを待った。こんなふうに本の訪れを待つのはいつ以来だろう。届いた途端読みかけの本をいったん横に置き、古川日出男現代語訳の「平家物語」に飛びついた。「平家物語」という私にとってのパワーワードがあっさりと敬遠を解いた。
初めまして、古川日出男様。
あなたの「平家」に出逢う以前に私は講談社学術文庫の「平家」で原文と現代語訳を読みました。それと比較するとあなたの訳した「平家物語」は、この物語を語る琵琶法師の息継ぎまでもが聞こえてきそうな、今目の前で語られているかのような臨場感にあふれていました。私は室町時代の京都のどこかの辻で、琵琶法師が語る平家一族の物語を、めいいっぱい想像を働かせながら息をつめるようにして聞いている民衆のひとりになっておりました。
「平家物語」というのは平家一門の栄枯盛衰を描いた軍記物で叙事詩で・・・という、かつて授業で使った日本文学便覧に書いてあることをそのまんま受け取り、古文の授業で「祇園精舎」と「扇の的」「敦盛最期」を習い(思えばなぜこの3つなのだろう)、一部分を知ったに過ぎないのにその物語を好きな古典のカテゴリーに加えてきた。
去年春から「平家」のzoom講座を受け、原文や現代語訳を読み進めていくうちに、なにゆえこの物語が描かれたのかが気になり出した。そして冬のある朝、仕事場へと歩いている途中で突然、「鎮魂」という言葉がぽんと浮かんだ。そうか、「平家」は鎮魂の文学なのだ。語り継ぐことで魂を鎮める。それは、祀ることで菅原道真の荒ぶる魂を鎮めようとしたのと同じ類だ、と。気付いてみたらなぜ気付かなかったのかが不思議でならないくらい、それは至極当然であると思えた。次には、叙事詩ではなくむしろ抒情詩なのではと考えるようになった。「平家物語」を叙事詩と呼ぶにはあまりにも顔が見える。時代の流れという縦軸にその都度絡んでくる人たちの物語が、その時代を生きて生きて死んでいった人たちの物語が、数多く描かれている。軍記物で叙事詩で、とまとめられる物語ではないだろうと思い至った。
「平家」の現代語訳を皮切りに古川日出男作品を立て続けに読んでいる。「平家物語 犬王の巻」、「ゼロエフ」と読んで、古川氏が「平家」に取り組み現代語訳したということが後続の作品に強く影響しているのを感じた。そんな折、なんの気なしに聴いていたラジオ番組のその日のゲストが古川氏で、初めて肉声を聴いた。読み終えたばかりの「ゼロエフ」の語り口とその声音が一致した。ほんの数ヶ月前までは食わず嫌いで敬遠していた作家が一気になだれ込んできた。
思えば「平家物語」を通してさまざまな表現に出逢ってきた。能や歌舞伎、文楽、演劇、ドラマに映画、絵本に小説、アニメ。そこにこのたび作家・古川日出男氏が加わった。
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再開。
http://muucyo.exblog.jp/241409532/
2022-04-02T05:58:00+09:00
2022-04-02T19:31:37+09:00
2022-04-02T05:58:08+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
「この日から」とはっきり意識しているわけではない。ただ2年おきにこの時期更新手続きの書類が届く。更新料を振り込んだばかりだから、さてここから新たな2年が始まると思ったのだった。
去年の春から健康食品会社のウェブマガジン内でフォトエッセイの連載をしている。一年続けてみて、ふだん文章を書かないと言葉というのはなかなか見つけられないんだということを痛感。にもかかわらず、ブログ再開を先送りにしてきた。年を重ねてそういうようなことが増えてきてしまっている。どうにかしたい。まずはアクセスしやすいことから。代々木の11年目、そして新年度の始まりに乗って、放置したままだったこのブログを再び始めよう。以前同様、肩肘張らず、思ったことを気ままに。
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「平家物語」講座
http://muucyo.exblog.jp/241103793/
2021-07-25T01:49:00+09:00
2022-04-15T21:41:19+09:00
2021-07-25T01:49:19+09:00
naomu-cyo
読書
十三巻に及ぶこの物語を月1の講義で1年間。講義時間は3時間、課題講評の時間が1時間強。けっこうなボリュームだ。新たに知ることがあまりにも多く、いや、なんとはなしに好きだというわりにあまりにも知らないことが多かったのだ、へえーへえーと面白がっているうちにあっという間に時間が過ぎる。
物語の流れのみならず、人物像や物語の構造にも切り込んでもらえるおかげか、「平家物語」が次第に立体的に感じられるようになってきた。これは今回のテキスト「覚一本平家物語」が琵琶法師による語り本であることにも起因していると思われる。語りで聞いて理解できるということは、聴く側がおのおのイメージを浮かべやすい言葉遣いや構成になっているのだろうから。平安時代末期の風景なんて知る由もないのに、頭の中にビジュアルを浮かばせるのだからすごいものだ。
受講生には毎度課題が出される。これが私にはひどく難しい。他の受講生はおそらく演劇関係が多い様子で、大半の方が課題をそれぞれに解釈して一本の物語を創作してくる。思いつきと勢いだけで書いた初回の課題は、講評時間に触れられもしないほどの代物で、他の方の課題を読んで自分の次元の低さを思い知った。
しかしめげている場合ではないのだ。私はこの講座を受けることで物事を深める癖をつけたいのだ。これまで自分のことばかりあーだこーだ考えて堂々巡りを繰り返してきたが、自分ではない対象を客観的に見て深めることを身につけたいのだ。
8月提出の課題は「有王」。鬼界ヶ島に流刑になった俊寛の死を見届け菩提を弔う役目として登場する人物だ。ここのところずっと、有王のことばかり考えている。「有王」を写真で表現するには。どうアプローチしたら有王を描けるか。ふと、こんなとき北島マヤならどう有王を理解し演じるのかななんて漫画の主人公を思い浮かべ、二次元も三次元もまぜこぜ、愚にもつかぬことに頭をめぐらせている。時間があるっていいことだな。なんだか少し豊かな気分だ。
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なさけない記
http://muucyo.exblog.jp/240937047/
2021-04-20T12:29:00+09:00
2022-04-15T21:41:47+09:00
2021-04-20T12:29:28+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
郵便局からの帰り道、仕事場近くの遊歩道の次第に緑が増していく樹々を見上げながら考え事をしていた。
大したことは考えていない。
今日はいい天気だな。今時分の緑は冴え冴えとして実に爽やかであるなあ。今日も仕事場にいい光が入っている。きのうの光も絶好でいい撮影ができた。光を作るのは苦手だけど、入ってくる光を遮ったり透過させたりして塩梅するのは得意だ。Y嬢との仕事はいつも、対象であるモノとそこに在る光をじっくり見つめながら進められる案件で、いい写真が撮れたという実感がある。そういう仕事をもっともっと増やしていきたいものだよ。その光を手放したくなくて店賃を払っているようなもんだしさ。店賃なー。これを捻出するのが大変なんだけど。頭のいい息子を中高一貫校の私立といくつかの学習塾に通わせているようなもんだな・・・というような流れでわたしの思考は動いていた。そこではたと止まった。わたしが仕事場に毎月払っている店賃は、学生時代に両親が仕送りしてくれていた金額と同額ではないか。借り始めて9年目の気付き。うひゃあとなった。
仕送りプラス毎年の学費。結構な金額である。それを4年間算段してくれていた。なのにわたしはといえば、単位をぼろぼろ落とし、バイトと映画館通いに明け暮れ、ろくに勉強をしなかった。かつ不安定極まりない仕事を選び、結婚も出産もせず親に仕送りすることもなく40代後半に突入した。世間的にわかりやすい親孝行が全くできていないのだから、これはもう息災に真摯に幸せな気持ちで日々を全うしている姿を見せることくらいでしか親孝行は成り立たんだろ。父よ母よ出逢ってくれてありがとう。この世界に生んでくれてありがとう。奈緒美はめちゃめちゃ楽しく濃く充実した毎日を生きてます・・・わたしにできる唯一残された親孝行がこれなんじゃないか。
ここのところ心のキレが悪くて、意気消沈気味だった。しょぼくれていると考えることも貧相になっていき、自分を見失っていた。光が明るい季節を迎えマスクを外した顔を見てシミが増えていることに愕然とし、物理的なケアすら怠りまくっていたことに気付いて、慌ててパックやらなんやらを購入した。髪を切りに行ってヘアメイクの美紀さんに近況報告したら「むーちょはね、ミソもクソも一緒になってるの。何にでも余計な感情を持ち込みすぎなの、整理できてないの」と頭の上から言葉が降ってきて、あまりにも思い当たることが多すぎて腑に落ちて、脳内を覆っていたもやもやの膜がペロリと剥がれた。憑き物が落ちたみたいに。「いちにち、いちにち、その日その日、と思って過ごすのよ。そういう思考に意図的に変えてゆくの。そしたらそういうふうになっていくんだから」と。しているつもりでいたけれどできていなかった。あれもこれもみっともないことであった。
自分の生のかたち。自分の在り方。いくつになってもそこでつまずくし揺れる。心のかたちがなかなか定まらない。美紀さんに言わせれば「余計なことを考えるのはね、むーちょ、暇ってことだよ」ということらしい。懸命に生きていないのかもしれない。いや、そうなのだろう、集中していないのだろう。言われて「うわっ、なさけない」と恥ずかしくなった。自分のことが一番わかっていない。
仕事場の光を思ったことが引き金となって改めて親への感謝がつのり、そしてしあわせでありまくってやるぞという決意に至った。そろそろ連休だし久しぶりに帰省して親の顔が見たいなあと思ったのだけれど、「今年は町内会の班長だから感染拡大が止まらない東京から娘が帰ってきているなんて外聞がよろしくないもの、帰ってこなくていいわよ」と言い渡されているので、しゃあない、去年同様東京でいちにち、いちにちを刻んでいこう。
相変わらず自分の取り扱いに手を焼き(美紀さんに言わせれば暇だから、だ。その通りだな)、自分の匂いを嗅ぎながら同じところをぐるぐるうろうろしているみたいなことの繰り返しなのだが、それでもわたしはそんな自分を諦める気にも見放す気にもなれない。善く、良く、生きたい、生きていたい。「今日いちにち、よく生きました」。その姿勢は基本だし真理なのだろう。そこだ、そこ。そこから。
お知らせ。去年の自粛期間中に考えたことをようやく実行、ネットショップを開きました。
武藤紙類制作室
オリジナルの紙類を写真で作ってみませんか?
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新年明けたものの
http://muucyo.exblog.jp/240783040/
2021-01-07T20:00:00+09:00
2021-01-07T20:00:31+09:00
2021-01-07T19:57:57+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
実に約半年ぶりの更新・・・よくもまあ、そんなに放置したものだ。
あれやこれや、書き留めることは毎日とはいかないにしてもあった、いくつもあった。でも、去年の自粛解除以降のわたしはなんだかずっとせかせかしていて頭の中がパンパンで、多分疲労を溜め込み続けていた。ありがたいことに解除になった後仕事が順調に回復して、それに懸命に取り組むので精一杯だった。
年が明けた。今年は年女だ。そして聞いた話だと風の時代という層に突入したらしい。そして来年から2年間わたしは天冲殺に入るらしい。種まきは今年のうちにね、と助言をいただいた。この状況下でどう種まきしていこうか・・・1月いっぱいは緊急事態宣言に再び行く手を阻まれそうだ。半ば籠城のような状況になるだろうから今年の陣立て(年をまたいで歴史小説「じんかん」(今村翔吾/講談社)を読みふけり、戦国時代の大和国へと現実逃避していた影響でこんな表現に・・・)はその間に考えることにしよう。
何はともあれ、元気だ。ありがたい。ゆくぞ、2021。
(写真は2018年11月にベルギーのゲントからブリュッセルに向かう列車から撮った牛景)
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松山行き
http://muucyo.exblog.jp/240416449/
2020-06-28T10:29:00+09:00
2020-06-28T23:05:14+09:00
2020-06-28T09:38:50+09:00
naomu-cyo
お仕事
松山にはSNSでやりとりをしている同業者が居る。自粛期間中に何の気なしに作ってみた自前ポストカードを使った栞が思いの外いい出来だったので、instagramに「欲しい人、送ります」と栞写真を投稿したら、松山のMさんから名前と送り先を記したメッセージが届いた。栞三点と手紙を書いて送ると、届きましたの連絡。松山出張の際には連絡しますね、叶うよう念じておきますと返事をし、そのやりとりからふた月も経たないうちに決まった松山行き。へえええー、こんなこともあるんだ、念が通じるのが早い!と驚いた。しかも、今回は前泊して取材ふたつ、2泊3日の滞在。時間に余裕がある。前泊日は早く現地に赴くことにした。
この案件は遠出がほとんどで、せっかく遠出したのだから宿泊代は自腹を切って軽く観光でもして来ればいいものを、いつも慌ただしくしてしまいとんぼ返りが常だった。初めての宮崎行きも高知行きも、覚えているのは帰りに自分用に買った現地の食べ物(宮崎では国産ゴマ、高知では絶品芋ケンピ)だけで、街の雰囲気や風景をろくに覚えていない。納品が溜まっているとか翌日が撮影だとかで、毎回もったいないなと思いつつも、仕事の出張なんだしと割り切ってきた。この度のコロナ禍で遠出が制限されてみると、そんな慌ただしい遠出すらも恋しくなる。再び移動が叶うようになったら、遠出案件を存分に味わおう、そのくらいの気持ちや時間の余裕を持てるように変化していきたい・・・そう思っていたところだった。
前泊する日は天気が良く、フライト中は窓に張り付いて空からの景色を楽しんだ。ここ数年頭の片隅でずっと意識している琵琶湖を眼下に眺めうっとりし、瀬戸内の島々が見えてくると源平合戦屋島の戦いを想像した。地上から国土の形や川の線を確認するのが好きなのだ。加えて3か月ぶりの遠出である、いちいちが嬉しいやらありがたいやらで染み入るのだ。
そうするうちに松山空港に到着。リムジンバスで市内まではすぐで、チェックインしてひと息つく。Mさんと待ち合わせして、自己紹介もそこそこに、松山城を見上げる公園に連れて行ってもらった。SNSマジックとでも呼ぶのだろうか、お互いをよく知っているような気になるこの感じ。同業者であることも大いに影響しているんだろうけれど(そしてわたし自身が人づきあいにおいて大雑把であることも・・・)、変に気をまわしたり相手の出方を伺ったりが全くなく、ほんとにすっと会話に入った。それからずっと、お別れするまでしゃべり続けた。現地のお仕事事情、Mさんの家族の話、写真を撮ることについて・・・写真を撮ることそのものについてこんなふうに大真面目に話したのなんていつぶりだろう。久しぶりすぎて、まるで初めてのことであるかのように粟立つような心持ちになった。濁っていかないように澱まないように、こうして時々口の端に載せることは必要なのかもしれない。Mさんとその肩越しに広がる緑の多い風景を眺めながら、おそらくわたしは自分にとってポートレイトを撮るということについて再確認していた。
翌日と翌々日の取材撮影は順調に済み、帰京の便はいちばん遅いのを予約していたので、取材後に足を伸ばして内子の町に行ってみた。かねてより来てみたかった内子座は見物者が他になく、独り占めだ。ほうぼう写真を撮りまくり、あちこちの客席に座って舞台を想像した。建物があることで往時の隆盛を想像できるというもの。遺してくれてありがとう、である。思わず勢いで内子町の図録三冊を購入し、自宅に送ってもらうようお願いした。置かれていた見本誌をめくってみたらたまらず欲しくなってしまったのだ。「文化」「民俗」「歴史」に分けられた三冊はそれぞれが結構なボリュームだ。さてわたしは何処に行きたいんだろうね、何処を目指しているんだろうね、とひとりでにおかしくなった。
そのまま時間いっぱいまで内子の町を散策したいのは山々だったが、土砂降りが続いていた。電車が止まるなんてことが起きたら面倒である。仕方がない、町歩きは次回に残しておこうと、内子座をたっぷり見学するにとどめ、帰京した。
久しぶりの遠出仕事を通して、ちょっとしたことなんだよね、ちょっとした意識の変化で手ざわりが全く違ってくるんだよね、と確認する。今ならこれまでと違う手ざわりが得られそうなんだ、だから粘ろうと思う。今の年齢でフリーランスのフォトグラファーという立場はこれからしんどくなっていく気がしているけれど、それでもできるだけ粘ってみようと思うのだ。
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意識の進化
http://muucyo.exblog.jp/240371691/
2020-06-08T12:48:00+09:00
2020-06-08T12:52:58+09:00
2020-06-08T12:27:47+09:00
naomu-cyo
落語
昔、野田秀樹率いる夢の遊民社の公演が深夜だかにテレビ放送をされたことがあり、ここの舞台を観たことがなかったわたしは楽しみにテレビの前に陣取った。が、そのあとの記憶はない。全くのめり込めないままにおそらく寝落ちしたんじゃなかったか。同じことは落語の収録放映でもお能や歌舞伎の放映でも起きて、ナマモノはやっぱりその場で観ないとダメなんだと痛感した。同じ空間にいて受け取る空気の振動だとか音の響きだとか衣摺れの音だとか、映像になるとそれらが消えてしまっている、と。
そんな経験もあったので落語の動画配信を観ることにあまり気乗りせずにいたのだが、こうまで増えるとどうにか苦手意識を克服したくなる。だから自分なりに理由の分析を試みた。実際に会場でこれらを観るときは、自分の視野自分の視点で観ている。舞台全体が視界に入っていても、主人公の横顔だけクローズアップして観ていたりする。自分の目がその都度望遠レンズにも広角レンズにも変化する、つまり恣意的な観方が可能だ。しかし、映像になってしまうと、映像のカメラはこちらの恣意的な視線には答えてくれないどころか、そのカメラそのものが一つの視点になっており、その視点で観させられているという状況が続く。これがストレスになり、集中できず寝落ちする羽目になる。ナマで観るというのはなんと自由で贅沢なのだろう。
おそらく、わたしの感覚が硬いのだろう。もっと柔軟であったら、ナマと映像の間ですいすいとスイッチを切り替えられるのだろう。仕方なく落語に関しては動画配信の音声だけで楽しんでいたところ、民放深夜で落語の放送があるという。そうそうたる噺家さんが並ぶ。これはとりあえず観てみなくては・・・。
この放送、バラエティー番組の中での落語というスタイルをとっており、司会者が登場する噺家さんを紹介をして進められる。ああ、なるほど。こうなると現場でナマの感じとかいうことを気にしないな、最初からテレビ前の視聴者用に番組として作られているもの。落語の最中のカメラの切り替えや背景装飾の騒がしさは最初気になったけれど、途中で慣れた。落語会というよりも落語ショー感、見せ方のスタイルが別物なのだ。あ、いけるいける、観られる観られる。しかし気を緩めた結果腹ばいになり、深夜であることも手伝って寝落ちした。なにせこの日は朝6時台に起きたのだ、無理もない。
小説を紙で読んでも電子書籍で読んでも音で聴いても小説そのものは変わらない。わたしは紙の手触りも装丁もめくるという行為も好きなので紙で読むのを好む派だが、出版社の有料月刊web配信でいくつかの文学作品を購読している。気になった作品はスクリーンショットをしプリントアウトして手元に置いている。まあ、いつか書籍化すると思うが、手元に欲しい作品はそのとき購入すればいい。このことと落語の放送も同じなのではないかと今回気づいた。向こう側にいる演者と落語は(いい意味で)変わらない。受け手側の手触りの問題なのだ。それはそれ、これはこれ、なのだ。こうであらねばならない、の問題ではない。
とはいえ、配信なり映像なりというのは受け取るこちら側の集中力が寄席などで聴くよりもずっと必要な気がする。モニターなりテレビなりで視界をいっぱいにすることは無理なので、視界に映る別物や手に触れるアレヤコレヤに気が削がれたりする。結果、アウトプットがどうであれ、受け取る側の問題なのだということを痛感したのだった。自分なりの原因がわかって苦手意識は克服できそうだれど、なにセ東京でお安くない家賃を払っているのだ、ナマで聴きに行ける距離なのだもの、ああ、気がねなく寄席に行きたい。新宿や浅草は営業を再開したけれど、まだ行きかねているところなのだ・・・。
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此比都ニハヤル物
http://muucyo.exblog.jp/240354063/
2020-06-03T07:50:00+09:00
2020-06-04T09:50:43+09:00
2020-05-30T03:09:43+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
此比都ニハヤル物
夜討(ようち)強盗謀綸旨(にせりんじ)
召人早馬虚騒動 ・・・
思えばコロナ渦中で売れていたもの(流行っていたもの)って、マスクに消毒液、ビニールシート・・・何だか色気のないもんばっかりだな・・・と思った矢先に浮かんだのが「此比都ニハヤル物」だった。どれもこれも消耗品で、手元で慈しむ類ものではない。ウィルス蔓延状況でそれらが何よりも優先するべきものであることはもちろん重々承知しているが、モノ好き買い物好きなわたしとしてはその現象に何だかひどく悲しくなった。
マスクは友人からもらったものと実家から送られてきたものとを湯煎して繰り返し使ってしのいだ。並んで買うほどの真剣みもなければきれいに手作りできるほど器用でもなかった。消毒液は仕事場の来客用に購入しただけ、ビニールシートは買っていない。その一方で、やたら手紙を出したのでふだんよりも切手代がかかり、作品撮りで歩き回るためのウォーキングシューズを買い、これはどうしても欲しいと浴衣生地を買い、未読本がたくさんあるのにさらに何冊もの本を購入した。「此比都ニハヤル物」よりは色気があるだろうか。できることならミニシアターのクラウドファンディングや飲食店のテイクアウトにも積極的に協力したいところだけれど、東日本大震災のときとは話が違って、今回は自分の仕事もめちゃくちゃ打撃を食らってしまっていて先が見えない。無理はできない状況だ。
物品に限らず、コロナ渦中から今に至るまで「此比都ニハヤル物」はいつになくめまぐるしく移り変わっているように思う。SNSを眺めているとそのスピードにクラクラし、ついていけてない自分に気付く。こんな流れに身を任せなければいけないのだろうか。いや、いいのだ、ついていかなくても構わないのだ。マスクや消毒液、ビニールシートに対応したときのように自分のペースや考えでコロナ後の世界に慣れていけばいい。自分で決めていいのだ。
コロナのダメージはまだまだ後を引くだろう。むしろこれから本格化する可能性が高い。今年はもう半ば諦めた気で、コロナ渦中に思いついたことをひとつずつ形にすることを目標にしてゆこう。周りの流れは見ない。もともと歩調を合わせてきたわけではないのだ。
(写真 コロナ渦中で移り変わった花の風景)
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解除。そしてこれから。
http://muucyo.exblog.jp/240349108/
2020-05-27T23:32:00+09:00
2020-05-27T23:37:03+09:00
2020-05-27T12:18:00+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
自粛要請で仕事が飛びまくり、いきなり終わりの定かでないロングバケーションがわたしの前に差し出された。自分で自分をいかに楽しませられるか、それに尽きるんじゃないか。正体のわからないウィルスとこの休暇を乗り切るためのわたしの方策。今振り返ってみて、それは概ねうまくいったと感じている。毎日毎日やることややりたいことがどんどん湧いてきて、時間を持て余すということがなかった。だから前倒しで解除が発表されてちょっと焦った。手を付けたもののまだ片付いてないことがいくつかあったし、手を付けてないものさえあったから。
とはいえ、解除になりました、即コロナ前に戻ります、というわけではない。仕事はゆっくり動き出しそうな気配だけれど、果たしてコロナ前に戻るのがいいのかどうか、考えてしまう。今回たくさんの時間を手にしてみて、時間があるということが創造性を育むことに気付いた。自分の仕事の行方を考えて萎縮するどころか逆に伸びやかな心地になった。あれ、これいいんじゃない、こういうこともやっていけるんじゃない、と思いつくことがたくさんあった。これまでやってきた仕事と全く違うベクトルのことではなく、紐付けして広げられそうなことをいくつか思いついた。
コロナ前の自分は、新たに撮影するということにばかり重きを置いていて、次から次へと撮影したくてしょうがなかった。乱暴な言い方をすれば、撮り散らかしているかのようだった。止まるのがイヤだったんだと思う。怖かったとも言えるか。今回止まらざるを得ない状況になり時間の余裕がおのずと生まれ、夜中にポストカードや写真展DMの余りで封筒や栞を作って手元を動かすうちに、過去作に目が留まった。活かせるんじゃないの、これは。活かし方次第じゃないの、と気持ちが動いた。周囲のお世話になっている人たちに意見を求めてみた。某ギャラリーオーナーは「こんなときだからね、新しいこと始めるべき。わたしも新しいこと考えてて毎日忙しいもの!」と笑った。意見を求めた人たちがそろいもそろって、この時期を停滞とは受け取らず時間の余裕ができた何してやろうかというノリの人たちばかりだった。よし、やってみようか・・・早速懇意にしているデザイナーに発注をした。彼女も面白がってアイデアを出してくれた。
わたしが思いつくことだから大きなことではない。わたしの両手と時間で対処できるくらいのささやかなことだ。それでも、不安に駆られてもおかしくないこの状況で、自分の心の中にほのかな光を見出せたのは大きい。40代なかばにしてようやく進歩が感じられる。これからやろうとしていることはうまくいかないかもしれない、そしたらまた何か思いつけばいい。なにせひとりもんである、身軽なのだ。
緊急事態宣言は解除になった。でもコロナが収束したわけじゃない、第二波がくる可能性はある。それでも解除になった。ここからは自分のふるまいは自分で決めていかねばならない。わたし自身はどう解除していくか、どう対策していくか。その過程でどんなふうに仕事を続け新しい試みを進めていくか。お上の発表した新しい生活様式を読んで、なんでこんな細かいことにまで口を挟まれなくちゃならんのだ、と憤りを感じた。だからこそ、感染防止の基本をおさえた上で自分で考え自分の行動を決めていかねば。大きなものにからめとられぬように。
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鳥知らず
http://muucyo.exblog.jp/240337160/
2020-05-21T12:03:00+09:00
2020-05-22T02:09:15+09:00
2020-05-21T03:55:04+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
ご近所さんの玄関そばの植木の中に一瞬その姿を見た。しかし、植木の緑に紛れ判然としないまま間もなく、鳥は視界から飛び去った。
人間ですら頻繁にお目にかかるカラスやスズメ、ハトならともかく、滅多にまみえることのない鳥は繁殖のパートナーとどのようにして出逢うのだろうかと、こうしたことがあるたびにいつも不思議に思う。こちら(人間)が知らないだけで、鳥にも同胞が集う碁会所のような場所があるのだろうか。圧倒的に少数だとしたらめぐり逢うのだって難儀だろう。戦時中は疎開先にもなっていたとはいえ今の世田谷は住宅街だ。ウグイスが住まいそうな野山は身近ではない。
庭の縁台に地域猫用のお食事処を用意している。猫用のドライフードを狙って一時はカラスがやってきて、今はムクドリがやってくる。それをムクドリだと知ったのは、インターネットで「鳥 嘴 オレンジ」で検索をかけて出てきた画像を確認したからで、つい最近まで縁台にやってきて時々糞を落としていく声の大きなその鳥の名前を知らなかった。ムクドリといったらメジャーな鳥の部類だろうに。おそらく身近に感じていなかったから知ろうともしなかったのが、わたしの生活圏にちょくちょく現れるようになって初めて「彼奴は何者ぞ」と気になり出した。地域猫2匹に加えムクドリカップルが加わり、小さな縁台は思わず生き物の密度を増している。
商店街をツバメが飛来する季節になった。もう少ししたら店々の軒先に巣が見られるようになるだろう。そして糞害防止のビニールが吊り下げられる。このビニールも含めて風物詩。やがて巣が壊れるんじゃないかと思うくらいに成長した雛の姿が見られるようになり、いつの間にか巣立ってもぬけの殻になっている。そして夏が来る。
コロナ禍で今年は春無し年になってしまった。近所の梅の香は憶えているのに、桜の記憶がおぼろだ。毎日が休みのようなものだから、大型連休も曖昧に過ぎた。袷の着物を楽しみきらないうちに単衣に衣替えした。それをまとうのではなく指先で実感するにとどまっているとは。
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なんだか忙しい。
http://muucyo.exblog.jp/240281669/
2020-05-03T08:18:00+09:00
2020-05-03T08:23:24+09:00
2020-05-03T08:18:49+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
仕事をしていないという状況に身体があっという間に慣れてしまった。こんなに働いていないのはスタジオを辞めて丸々一ヶ月何もしなかったとき以来だ。それから約20年間必死に仕事をしてきたけれど、たかがひと月で自粛生活という新しいリズムが身体にしみ込み始めている。いともあっさりと易きに流れるものなのだなあ・・・と自分の新たな側面を発見したような心地だ。怠け者なんじゃないか、と薄々気付いてはいたけれどここにきてそれは確信に変わった。図星すぎてちょっと笑ってしまう。
なぜに忙しいか。afterコロナを見越しての準備のためではもちろんない。
家に長く居ると、狭い中でもいろいろやることが見つかる。それらはふつうに仕事をしていたらやらなくてもいいことばかりだ。4月半ばにくるみボタンキットを買った途端、着物や洋服の余り布でひたすらくるみボタンを作ることに没頭、「くるみボタン制作期」が始まった。4月下旬、今度は友人や着物仲間に向けた「くるみボタン送り付け期」に移行した。余り布を眺めていると、ここ十数年に及ぶ着物散財の歴史が浮かび上がり、その布を招き寄せた当時のことが思い出される。あ、この布の来歴をエッセイにできるな、と気付く(ゆくゆく着手しよう)。数年前に購入してあった静岡の紙屋の染め紙を発見。そうそう、何かに使いたいなと買ってあったんだ、と取り出してブックカバーを作る。折るだけだからものの10分もあれば終わってしまうのだが。去年の写真展で余ったDMで封筒を作り始めたり、たくさんあるポストカードの在庫を適宜トリミングして栞を作ったり・・・武士の内職の如しである。一円にもならぬが。
一方、生活の中のシーンを頻繁に撮るようになった。以前はよく撮っていたものだが、ここ数年仕事の撮影でそこそこ満たされていたものか、日々の写真をさほど撮らなくなっていた。同じ場所に暮らして23年、自分の暮らしの中に目新しいものなどそうないと思っていたけれど、そんなことはない、けっこう新鮮なのだ。きのうなど、ストレッチしているときのアングルで見えた庭がなかなかに素敵で、転がしてあったカメラを引き寄せてストレッチの体勢のまま撮った。夕方の光の中の春の庭はなかなかに映画的だった。
手元を動かしたり本を読んだりしてstay homeしていられたのはほんの一週間ほどで、やっぱり鼻から息をするモノが撮りたくなってくる。そうか、不特定多数に接触しないよう歩いて撮りに行けばいいんだ、と思いつく。相手に負担をかけず家の前あるいは道路で、social distanceを確保して、撮る。家族写真を撮りたいなと思ったら西荻窪に住んでいるとある一家が思い浮かんだので、早速連絡をし快諾してもらった。1時間半かけて家にたどり着き、マスクをしたままと外したところと両方の家族写真を撮り、帰りにタケノコの水煮をいただいた。友人にも協力してもらい、次々と歩いて行けるところをラインナップする。面白い。西荻窪まで行けたんだから、ここも行けるよねとか考えながら住所録をめくる。快諾してくれたある人は「ああ、何着よう。イベントっぽいの久しぶり!」と返事をくれた。そう、それ、嬉しいリアクション!わたしもそうなんだもの。徒歩圏内、social distanceをキープして外で、マスク有り無し。これらの縛りを課しての撮影。この状況が終焉を迎えたら仕事場でコロナ慰労会を兼ねた写真展をしようか。そんな想像をしながら思わず、ウォーキングシューズを購入してしまった、収入ないのに。わはは、だ。
afterコロナの世界はどうなるのか・・・未来予想図を描くことにかけては全くの素人である。結局、自分は今どう在るか、しか決められない。それでいいのだろう。ただ、この期間に過去の写真の整理(とウェブのリニューアルと・・・)と、未来にこんなことをしたいなという希望は描いておきたいな、と・・・わたしは易きに流れがちだから・・・。
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afterコロナに向けて
http://muucyo.exblog.jp/240257133/
2020-04-21T01:29:00+09:00
2020-04-21T01:32:46+09:00
2020-04-21T00:43:09+09:00
naomu-cyo
お仕事
このいきなり出現した時間を、過去の写真の整理、先々の営業のためのファイル作り、ほったらかしのウェブサイトの更新等々にあてればいいことは重々承知だが、なかなかそっち方面に触手が伸びてゆかない。これまで、過去でもなく未来でもなく「今」ばかりに気持ちを置いてきた。それは自分にとって「今」と向き合っているのがいちばん楽チンだからにほかならない。そして現状、「今」をとても持て余している。
先日、時々お世話になっている編集者さんと仕事のメールをやり取りした際に、時間ができたのであれこれ企画を考えていますとさりげなく伝えたところ、5月に別部署に異動になるけれどそれまでだったら企画受け付けられますよ、と返事をもらっていた。今朝、もう20日なのか・・・と日付を認識した瞬間にそのことを思い出した。大型連休のことを考えると今週中に提出しなければ間に合わないだろう。今週は・・・半ば以降に撮影が2つ入っている。ならば今日まとめようと思い立ち、午後から企画を練った。
もともと考えていた企画は、コロナが落ち着かないとまず実現不可能で、でもこれが彼女の関わる旅絡みの媒体でいちばん叶えたい内容。これは外さない。そして新たに考えた企画はコロナが下火にならなかった場合を想定した内容。コロナ下にあって旅をイメージするには何ができるかを考えた。無理くりひねり出したと言っていい。それが2案。夕方遅くに3案をメールに添付して送った。本日の仕事、これにておしまい。
通るかどうかはわからない。そもそも企画出しを意識するようになったのがほんの去年のことだから、企画書としての体を成していないかもしれないし不足だらけかもしれない。それでも出していかねばならない。afterコロナの先にはフリーランスの諸先輩方が口々に言う「50の壁」が立ちはだかっている。これに阻まれることなく仕事をし続けていくためには、待っているだけではあかんのだ。焦って、あがいて、学んで、自覚して、自分はこんなことがやってみたいんです、撮ってみたいんですと訴えて、それでもその先の扉が開くかは未知数だ。考えるだに怖いことだが、だからこそやれることはやっていかねばなるまい。そして過去もやっぱり見つめないといけないだろう。
コロナによる不全状態がどれくらい続くかわからない。希望を自分の中で維持できるようこの期間を実りあるものにしたい。まだ間に合うよ。
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しごとのありがたみ
http://muucyo.exblog.jp/240247834/
2020-04-16T13:06:00+09:00
2020-04-16T15:25:45+09:00
2020-04-16T13:06:53+09:00
naomu-cyo
お仕事
3月後半以降、取材の中止と延期の嵐、月変わって4月は実に寒々しいスケジュールになっている。元々の予定を修正液で消して・・・という作業がぐんと減った。動きが止まっているからもう修正のしようがない。
一方、外出自粛や休業要請が出ても、なくならない案件がある。メディアに顔を出すことが仕事であり宣伝になる方々の取材は規模を最小限にして決行された。
先週、いとうせいこう氏との共著「自由というサプリ 続・ラブという薬」(リトルモア)を上梓された精神科医・星野概念氏の取材があった。去年1月、仕事仲間・小野民さんがインタビュー執筆を担当した記事で前書「ラブという薬」を知り、心穏やかに暮らすための一助となるような本だぞとありがたく感じていたので、この取材依頼が某新聞社の記者・Sさんからもたらされたとき、嬉しくて思わず声が上ずってしまった。状況が状況だから余計に。
概念先生はいわゆる「医者」という職業から思い浮かべるビジュアルとはいい意味で程遠く(素敵なメガネ男子!)、この日は白衣ではなく私服だったことも手伝ってか気さくな雰囲気で、薄いカーテン越しに日射しが差し込む先生の周りは不思議とクリーム色がかって見えて、世間のピリピリムードとは別世界の趣きがあった。途中落語が好きだという流れからSさんが「武藤さんは東京かわら版などで落語家さんの写真をよく撮っているんですよ」と紹介してくれたのがきっかけでわたしまで話に参加し出し、先生の雰囲気、Sさんのスマートな話運び、落語自体がもつコミュニケーション能力のおかげですっかり打ち解けてしまった。わたしはわたしなりに最近の状況に心が強張っていたのだと思う。いつまででも話を聴いていたかった。
きのうは落語家・春風亭昇太師匠の取材があった。カード会員誌のお城特集の取材で、以前師匠の独演会に行った際にサイン入りのご著書「城あるきのススメ」(小学館)を購入し、並々ではない師匠の中世城郭愛に触れていたので、直にそのお話を聴くのが楽しみだった。
コロナ禍で叫ばれるようになったソーシャルディスタンスを確保してのマスクを着けたままのインタビューはやはり独特で、どことなく堅い雰囲気でスタートしたものの、師匠の話はあっという間に熱を放ち始め、中世城郭を讃える言葉が積み重なるうちにこちらもすっかりその気になり、諏訪原城や一乗谷に行ってみたい気満々になっていた。話すことを生業にしている方のしゃべりの渦にすっかり巻き込まれる幸せなひとときであった。
落語の興行が全て止まり他のロケもできないし・・・という状況もあるのだろう、取材にたくさんの時間を費やしていただいた。コロナ禍の中のせめてもの幸いと言うべきか。最初スタジオにいらしたときに「お久しぶりでございます」とご挨拶したら「おー、久しぶりだね」のリアクション、記憶していただいていたようで安堵した。
これでしばらく現場がなくなる。月並みではあるけれど、人に逢って写真を撮っていられることの尊さを次の現場までの間に何度も何度も嚙みしめるだろう。この状況下に在って心身ともに健やかでいることに心を尽くそうと思う。さて、そのためには飯だ、飯!
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