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2012年 05月 22日
2月に撮影したレシピ本が形になった!
「うま塩うまだれごはん」(西山京子・アールズ出版)。 ![]() おいしかったよなあ・・・って食べたものたちを思い出していたら、こんな時間だってのにお腹が空いてきた。どうしてくれよう・・・。 2012年 04月 22日
LUSHの東北取材行脚最終日は石巻へ。前日の宿泊は小牛田駅前にある老舗旅館・旭館。食堂の座布団カバーが弓浜絣と久留米絣だったのがきっかけですっかりテンションが上がりあれこれおかみさんに尋ねると、旅館内にさりげなく使われているこぎん刺しのタペストリーやら泥大島のカバーやらを見せていただいた。素敵!
![]() ![]() 今回の東北取材行脚も前回に続き濃密で、気付かされることや珠玉の活動と言葉に満ちていて、忘れられない時間になった。市井の中にいるすごい人たち。「大隠は市井にあり」・・・なんて言葉が脳裏を過った。 2012年 04月 16日
山元町から仙台へ戻り、遅れていた新幹線に乗り込んで新花巻へ移動、一泊。翌朝、釜石線で釜石へ向かいレンタカーで大槌町吉里吉里へ向かう。行き先はNPO法人「吉里吉里国」。ここはLUSHが「チャリティポット」の売り上げで支援している団体のひとつだ。
沿岸部を進む。何度も報道で耳にした「鵜住居」地区を通る。新聞に載っていた地図ではつかみきれなかった地形や風景が目の前に広がる。瓦礫はすでに撤去され、天気が良く車で通るだけだと、もともとそういう風景なのかと錯覚してしまいそうだけど、目を凝らすと津波の爪痕はあちこちに残っている。開いているお店をよくよく見ると、建て直されたばかりだったり修繕してあったりする。 ![]() 家を流され避難所暮らしを共にした仲間たちと、吉里吉里再生のために立ち上げたのがこの「吉里吉里国」で、美しい海は山が作るをモットーに山の再生をめざしていくのだという。大地が揺れ津波に襲われた去年の3月11日から「吉里吉里国」誕生までの軌跡を、そのときどきの心情や状況を交えながら詳細に説明してくださったのが代表の芳賀さん。子どもの頃に遊んだ野山のこと、若い人が少ないという大槌町のこと、まだまだ立ち上がれないでいる同じ被災者への配慮、「誇り」について、吉里吉里の山や海の美しさのこと・・・たくさんの話を作業しながらあるいは昼食の合間にしてくださった。それはどれもこれも心に深くしみ通っていく話ばかりで、そしてよそ者であるわたしの心ですらも大きく震わせるような力強い話だった。なんと素敵な人たちだろう。 ![]() 午前中はLUSHチームも木材の運搬を手伝い、午後は立ち枯れの杉の木の伐採を見学し、小枝を拾うなどした。宮城の栗駒から木材の専門家氏がいらしていて、伐採した木の検分をし伐採時の注意を伝え指導もされていた。芳賀さんは、失うものはもうないから残りの人生を賭けて山を海を再生することに全力を注ぎたい、子孫たちに美しい野山を伝えていきたい、と強く話された。ほかのメンバーの方々も芳賀さんのその姿勢や考えに強く惹き付けられ行動をともにしてきたんだそうで、そこには厚く強い信頼関係が感じ取れた。思わず隆慶一郎の歴史小説に描かれる「もののふ」の姿と重ねてしまう。とても似通ったものを感じたのだ。男の世界だなあと感じ入り、嗚呼羨ましいと久しぶりに憧れるものがそこには横たわっていた。素敵すぎる、眩しいほどに。 ![]() 2012年 04月 15日
ハンドメイドコスメ「LUSH」のお仕事で再び東北へ。今回は福島との県境近くにある亘理郡山元町、岩手は大槌町の吉里吉里、そして宮城の石巻。またも濃密な時間を過ごしてきた。
前日の暴風雨の影響で新幹線が途中停止するなどして、仙台まで5時間かかって到着、車で山元町の山元いちご農園へと向かう。途中、震災直後に遺体安置所になっていた名取のボウリング場の前を通る。道路標識には、報道で何度も見た壊滅的な被害を受けた地名がいくつも出てくる。津波被害のあったエリアと免れたエリアとが隣り合わせで、あまりの風景のギャップに息をのむ。名取の沿岸部を襲う津波の映像をテレビで見たけれど、山元町もまた甚大な津波被害を受け、いちご農家の大半が被災したんだそう。ほとんどが家族単位の小規模経営で再建への道が困難なため、数軒の農家が集まり株式会社という形で再起。更地の中にそこだけ数棟のビニールハウスが出来上がっていた。 ![]() この農園のいちごがLUSHの製品に原材料として使用されるにあたっての取材であった。LUSHを通して被災地を訪れ、そこで様々なお話を伺い現状をじかに見られる機会はとてもありがたい。狭い日本の同じ空の下、同じ地続きにあるという意識を失わないためにも、見る聞く知る感じる考える・・・そしてできることならなんかしらの行動につなげていければと切に思う。 帰京し立ち寄ったスーパーで山元町産の「もういっこ」という品種が売っていたので思わず買って帰った。わたし個人にできる唯一のことだ。(写真は「もういっこ」の花) 2011年 12月 16日
浅草寺裏の自家製酵母のパン屋さん「粉花」の本がついに完成!(17日発売)
スタッフみんなで想いをこねて焼き上げた一冊。4月のパン教室の撮影に始まり、春・夏・秋の「粉花時間」を撮り重ねてきた。いくつものパンを食べ、ちゃっかりパン教室にも参加し、焼きたてパンの匂いに包まれながら、気持ちのいい時間をたくさん過ごした。 震災や原発事故からひと月後にスタートした「粉花」との関わり。まだまだぞわぞわした気分がつきまとっていた時期だったから、食べたいパン・おいしいパンを選べるってすごく幸せなことなんだ、と思いながらかみしめるように食べたのだった。お店の窓辺の椅子に座りながら、しゃべっては撮り、撮ってはしゃべりした。そこに差し込む日差しも、順々に並べられていくパンたちも、そして粉花姉妹も、何度訪れても毎回新鮮で、撮りたくなるシーンにあふれていた。 ![]() 「観音裏のパン屋さん 粉花のパンのレシピと浅草さんぽ」(藤岡真由美・恵 著/アールズ出版) 2011年 12月 08日
先日、「お寺プロレス」の面々と善光寺の乳児院を訪れた。
夏の「お寺プロレス」の興行から何度か取材してきた。今回はそれらの興行で得た収益を乳児院に寄付する彼らに密着。この日の長野市は曇り空で、東京の比でないくらいに寒い。案内役の現地の住職と合流し、まずは乳児院に向かった。 お母さん代わりの女性たちに囲まれて、乳児が15人くらいいただろうか。遊戯室の窓にそれぞれの誕生日を書いたカードが貼ってあり、目で追っていたら2年前の11月8日にこの世に生を受けた男の子がいた。わたしと同じ誕生日だ。 よくよく観察してみると、障害を負った乳児もいる。全体的に覇気が足りない感じもする。予備知識なしで訪れてしまったのだがスタッフの方に伺うと、家庭の事情で預けられた子ばかりなのだという。経済的に育てるのが無理だから、とか、先天性の障害があって手術費が捻出できないから、とか、虐待とか・・・。ひどい親になると、「行政が育てるのが当然だ」と言い出す始末だそう。「面会しに来たりするんですか?」と尋ねると、たまに来てディズニーランドに連れて行ったりする親もいるそうな。楽しいところばっかり親ヅラするのか。もちろん止むに止まれぬ事情で泣く泣く預けている親だっているのだろうけど、哀しいとともに憤りも強く覚えた。 わたしには子どもがいないけど、シングルマザーの友人が何人かいる。彼女らはみな身を粉にして必死に子育てしている。どんな状況に陥っても我が子を守る覚悟ができない人は産まなきゃいいんだ。もちろんこうした考えは子をもたないゆえの綺麗事なのかもしれない。でも子どもを切望しているのになかなか子宝に恵まれず苦しんでいる友人もいるから、腹が立って仕方ない。スタッフさんに話をきいている間、「お寺プロレス」の面々は子どもたちと遊びまくっていた。体格がいい彼らが小さなブロックを積み上げる様子はなんだかちぐはぐで面白いし、高い高いをしてびゃーっと泣かれて戸惑う姿は微笑ましい。自分たちが身体を張って得た収益のたどり着く先を目の当たりにして、彼らはどう感じたろう。わたしは彼らの活動を通して、人を生かす活動に触れたと思った。 リングでは男子顔負けなくらいパワフルな「お寺プロレス」のリーダー・雫あき選手が、座り込んでずっと赤ちゃんを抱いていた。さすがにお乳の匂いはしないだろうが、彼女の胸はあったかろう。たとえ実の母親に抱かれることがなくても、お母さん代わりの人たちから愛情を注がれ抱かれたことを誇りに、強く生きて欲しい。母の愛だけがこの世の愛のすべてではないはずだ。母の愛に恵まれない分さまざまな愛に恵まれるようであって欲しい、と切に願った。 2011年 11月 07日
去年の今頃に撮影した警視庁の「東京を愛する仕事」シリーズのポスターが駅に貼り出されていた。なんだか懐かしいな。
![]() 2011年 11月 06日
10月ラストの土曜日、LUSH LIFE KITCHENの撮影に行ってきた。
抽選で選ばれたお客さんたち体験型のイベントで、今後定期的に展開していくとのこと。屋外スペースにはLUSHの原材料を使って作られたフードやドリンクが並ぶ。また、原材料やリサイクルに触れたブースもあって盛りだくさん。これまで何度もイベントの撮影をいただいているが、今回最も驚いたのは「リサイクル率99.4%」だということ。KITCHEN(LUSHにおける製造工場のこと)で出た生ゴミは肥料になり、商品の入っている容器「ブラックポット」は回収され再利用される。何がどういう過程を経てリサイクルされているかを伝えるボードや物そのものが展示されており、徹底した取り組みがよくわかる。 ![]() 日暮れ前にイベント終了。お客さんを送り出した会場でひといきつく。ブーステントの形とその向こうの空に現れた三日月とのバランスがなんともよかった。 2011年 11月 06日
過日。お寺プロレスの代表・雫あき選手が後楽園ホールでのSMASHの興行に出場するというので、撮影に出かけてきた。
「後楽園ホール」、という字面を見ると、なんとはなしに「あしたのジョー」を思い浮かべ昭和の匂いを感じる。自分がリングに上がるわけでもないのに闘志が湧いてくる。以前ボクシング観戦したときとは客層が異なるし、熱気が違う。ボクシングが特定の選手を応援しにきているとおぼしき客が多いのに対し、プロレスのほうは最初から興行そのものが目的という感じだ。ロビーには人があふれ移動するのもやっとだった。 雫あき選手に出逢ったのは、この夏に「お寺プロレス」の興行を取材したのがきっかけ。彼らは集まった木戸銭を善光寺の孤児院に寄付する活動を続けており、最初に伺ったのは8月上旬、越谷の慈眼寺敷地内での興行だった。雫選手はこの寺の住職の娘。興行を見ながら住職がおっしゃっておられた「あの子たち(=お寺プロレスの選手たち)は托鉢僧と同じなのよ」の言葉が忘れられない。住職と二度目にお逢いして話を聴くうちに、なんだかとにかく涙があふれてくるということがあった。 ![]() いよいよ次となり、リングサイドに移動する。雫選手の名前が読み上げられたと同時に、彼女の衣装に合わせたオレンジ色のテープがほうぼうからリング内に投げ込まれ、それはきれいな弧を描き、彼女の登場を飾った。 対戦は夢中で撮っていたからどこでどうなったとか把握しきれてない。が、敗れたけど雫選手は強烈なアピールをしてのけたのではないか、ということが客席からのリアクションでわかった。実直で腰のすわった粘りのある攻撃だったように思う。アマチュアレスリング出身のせいもあるのだろうが、体勢が安定していて落ち着いて見ていられる。そして負けた気がしない雫選手のすがすがしさ。 試合後のロビーの「お寺プロレス」ブース周りの人だかりはすごかった。雫選手のサインを求める人、グッズを求める人、そして善光寺の孤児院向けに寄付をする人。彼女は勝敗はともかく、いい試合をしアピールできたことで、たくさんの寄付が集まったことを心から喜んでいた。さまざまな社会貢献活動があるのをこの震災を機に知ったが、彼らの活動は中でもとりわけ印象深い。 2011年 10月 28日
一泊二日の取材で大分に行ってきた。訪れるのは二度目だ。
初日は別府、宿泊は大分市、翌日は吉野原と院内町。大分の名物を取り上げるという仕事で、回った三カ所とも食べ物が主役。そして昼にはだんご汁、夜には関あじの刺身をいただくという、まさに大分尽くしの二日間だった。その土地の名物を食すのはえらいこと楽しい。 福岡出身の担当さんと一緒だったから、九州のだしの話や食文化の話などを興味津々に伺う。うちの実家はほんだし文化だったから、だしの地域性がとても面白い。ずっと以前、鰹節削り器の会社に取材に行った折、その削り器「おかか7型」をいただいてからというもの、うちでは鰹節でだしをとっている。東京にいると原発のニュースが実に身近に感じられるが、大分ではそんなこともなく、何も気にせずに食べ物を口に運び、心ゆくまで外の風景を楽しんだ。関東と九州で見た目に何か変化があるわけではないのだが、東京で目にする風景には陰があるような気がしてしまう。心穏やかに愛でにくいとでも言おうか。それもまた現時点では受け入れざるを得ない現実なのだが。 稲刈りの終わった田んぼに雲間から逆光が差し込んできらきらと輝く。さほど大きくはない集落が、その背後に静かにたたずむ。そして別府の地形には目を見張るものがあった。あの長々と海の直前まで続く緩い坂道の長さったら。ほうぼうで温泉の湯気が湧いているし、街が山に覆われ反対側は海。高台にあがれば、別府湾の美しい湾曲が眺められる。面白い街だなあと上下左右移動しながら何度も思った。そして院内町で見た一面のゆず畑。緑の重なりの中にぽつぽつと水玉模様のように黄色が冴える。土地土地の風景というものがたしかにあるのだなあということを、かみしめる。出張撮影で遠出するたび思うのだ。行く先々どこも満ち足りている感じがする。では自分が求める満ち足りた感や豊かさの正体ってどんなだろう、と。 < 前のページ次のページ >
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