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2012年 05月 21日
花組芝居・大野裕明氏脚本演出による今年の舞台の主人公は「萩原朔太郎」。
没後70年なんだそう。朔太郎作品はたしか「猫」に惹かれて「猫町」を読んだだけ。朔太郎にかぎらず、「詩」というものをあまり読んでこなかった。わたしの中に「浪漫」の要素が足りないのだろうか、「詩情」を解するのに遠く及ばない・・・。 神保町の美容室「eida」とその界隈で撮影された今回の宣伝ビジュアル。その日、滅多にひかない風邪をひいて頭が朦朧としていた。当初すりあわせていたメインビジュアルのイメージが場所的にちょっと無理がありそうだったので、「eida」のいい感じに使用感のある床を背景に使ってしまえと、朔太郎役の丸川くんと父役の加藤さんに床に寝転がってもらい、ライブな表情が欲しいあまり、「かえるのうた」を歌ってちょうだい、と注文したのだった。朦朧のあまり暴走気味だったけど、結果いい顔撮れたからよしとしよう・・・。 ![]() 「交響曲 月に吠える」 明治・大正・昭和と生き、「近代日本詩の父」と言われた萩原朔太郎に、一人のジャズピアニストと、四人の俳優達が挑む新しいカタチの音楽劇。 脚本・演出/大野裕明(花組芝居) 音楽・演奏/保坂修平 振付/堀川炎(世田谷シルク) 出演/丸川敬之(花組芝居)、藤澤志帆、加藤幸夫、鈴木陽代 東京公演:8月28日(火)~9月2日(日)@絵空箱 静岡公演:9月7日(金)~9月9日(日)@アトリエみるめ 前橋公演:9月15日(土)@前橋文学館 詳細&お問合せ:おおののHP おおの氏の手にかかると、純文学の世界が軽快で爽快で親近感の湧く人間ドラマになる。この作品もきっと面白くなるにちがいない! 2011年 08月 04日
今回は日程調整ができず稽古場に一度も足を運べなかったので、進行や照明具合などを頭に入れるために、きのう夜と今日日中の場当たりを見物、そのままゲネプロ撮影をしてきた。
今回は脚本が「双数姉妹」の吉田麻起子さん、演出が「花組芝居」の大野裕明氏。時代は大正浪漫華やかなりし頃。「青鞜」を舞台にした平塚雷鳥と伊藤野枝の恋と葛藤を描いた物語。 ![]() ![]() 詳しくはこちらで→おおのの「東京モダンガールズ」 おまけ写真。出演者の「劇団上田」江戸川卍丸氏のゲネプロ5分前、ストレッチの様子。スタッフたちの笑いを誘っていた。 ![]() 2011年 05月 29日
いったい何年ぶりだ?ってくらい久しぶりのPARCO劇場で、「ぼっちゃま」を観てきた。
心惹かれた要素は出演する役者陣。柳家喬太郎師匠が!そして、白石加代子さんが!高田聖子さんが!梶原善さんが!・・・個性的な方ばかりだ。主演は稲垣吾郎ちゃん。ずっと前に吾郎ちゃん主演の「夜曲TSUTOMU」を観た。彼は放火魔の役だった。この舞台もえらく面白かったっけ。 戦後の東京郊外。戦前は大地主で道楽者の父のもと、裕福な環境で大人になったぼっちゃまこと幸一郎は、戦後の価値観の転換にイマイチついていけてない。幸一郎流解釈を加味した古き良き美意識を振りかざすために、腹違いのきょうだいたちとどうも噛み合わない。けれどもなんとも滑稽で憎めない存在として燦然と(?)輝く。まるで太宰文学の主人公のようだ。そして幸一郎を「ぼっちゃま」と呼ぶばあや(白石加代子)は、彼の矛盾も無軌道もわけわからなさも、それこそがぼっちゃまそのものだと丸ごと受け止め、いつだって幸一郎の側に立つ。この丸ごと肯定する感じは、漱石の「坊っちゃん」における主人公と「お清」との関係や、太宰の「津軽」に出てくる太宰自身と「たけ」との関係を彷彿とさせる。白石加代子さん演じるばあや千代は、それだけじゃない。なんとも色っぽいのだ。きものでの立ち居振る舞いがものすごく自然で美しくて、一挙手一投足にほのかな余韻があって、出ていないときでも舞台に存在が残る。その家の主・幸一郎を照らし続ける光のような存在だ。彼が思いのまま振る舞っていられるのも、千代あってこそ、なのだ。 我らが喬太郎師匠は、以前は幸一郎の父親に贔屓にされていた幇間で、今は骨董屋を営む男の役。これがまた落語の世界から抜け出てきたような役どころで、師匠にぴったりだった。ふだんは高座の座布団の上から落語に描かれる世界を伝える方が、舞台の上では動き回って時代の匂いを届けてくれる。ふだんから生な現場のお仕事なせいだろう、舞台の上でもとても自然に呼吸されているようだった。 矛盾するような考えがせめぎあってても、それでいいんだ生きているのだから、というようなやりとり。舞台の終盤の、どんなにしんどくても大変な目に遭っても生きていなくちゃ、というような台詞。「生きる」に言及するシーンがいくつもあった。それは作品の時代設定によるところが大きいだろう。現時点でわたし自身は死にたくなるような辛い目を味わったことはないが、今回の地震ではそういう人も多かったに違いない。時代に取り残されているぼっちゃまも含め傷を負った人たちへの、優しげな応援讃歌なのだなあと受け止めた。面白くそしてあったかく、千代のように優しく寄り添ってくれるような作品だった。 2011年 05月 26日
最近、舞台だ落語だなんだかんだとライブものの会場にせっせと足を運んでいる。きくところによると、地震以降公演の客入りが落ちているのだとか。ということは、だ。レアチケットが取りやすいということだ。これを逃してなるものか!・・・とはいえ、先々のスケジュールがまるで読めない仕事を生業にしているので、直前になって探すことになる。そんなわけで27日のandymoriのワンマンライブのチケットを今頃探す。仕事で行けなくなった人が売りに出していたのを譲ってもらうことに。周りにファンがいないので、またもや単身参戦だ。始まればどうせステージ見ているんだし、まあいいか。
![]() その花組芝居のヌーベル公演「番町皿屋敷」は6月2日から7日まで、座・高円寺にて。こちらも撮影で関わらせていただいた。もちろん楽しみのひとつ。 2011年 04月 19日
土曜日、神保町の美容室eidaと花組芝居・大野裕明氏とのコラボ朗読劇「それぞれのヘアサロン」を楽しんできた。
リハとは全く違う出来上がり。本番の演出のほうがずっと面白かった。リハでは淡々としていた朗読劇が本番ではコメディー調になっていて、登場人物のキャラクター設定もより立体的になったおかげで、朗読される作品世界のイメージが頭の中で増幅していった。この企画のために撮り下ろした写真たちも会場内のあちこちに展示され、終演後に希望するお客さんにプレゼントされた。 一回こっきりの企画。その一回のために写真を撮り朗読劇の間だけ展示する。まさに「一期一会」的な撮影だった。毎回その一期一会感はあるのだけど、この一回感はけっこう好きだったりする。記録として残っていくという側面を持ちながらも、そのときだけの空間にそのときだけ飾られて、同じ場所同じ構成の中で見られることは再演でもしないかぎり二度とない。今のレベルで撮ったものを一回だけお披露目するっていう今回の試みは、インスタント的な軽快さや煮詰めないゆえのライブ感があって、なかなかに面白かった。 ![]() 舞台がはねた後、中野の居酒屋で釜石にボランティアに出かけていた友人のTさんと仕事仲間のOさんと三人で飲み、ボランティアに行ってみてのTさんの感想や意見、現地の様子をじっくり伺った。語弊があるのを承知で言えば、舞台が虚構のライブなら被災地は現実のライブだ。日々刻々と変化していく、終演がいつ訪れるのか皆目見当のつかない世界だ。いろいろと考えされられる点が多かった。それを踏まえたうえで今後どういうアクションが必要かを考えてゆかねばと思った。 2011年 04月 16日
先日、花組芝居の大野裕明氏と美容室eidaのコラボレーション企画「音楽朗読劇『それぞれのヘアサロン』」の撮影をしてきた。
eidaで行われた稽古風景を撮影、イベント当日に会場となるeidaに展示される。「あと一週間もない!」と言いながらの稽古、楽しく撮影させていただく。が、終了直後、サロンの椅子に座って大野氏と写真のチェックをしていたら大きめの余震に見舞われる。今回もまた撮影中の地震。大きく長く揺れるとき、いつも決まって撮影中だ。心細くなくて済むけれども。 ![]() 日時 4月17日(日)19:30開場 20:00開演 ¥2000(1ドリンク付き) 原作 山崎ナオコーラ 「カツラ美容室別館」(河出文庫) テス・ギャラガー 「ふくろう女の美容室」(新潮クレスト・ブックス) 構成・演出 大野裕明(花組芝居) アートディレクション 星陽子(Hair&Make eida) 出演 藤澤志帆、丸川敬之(花組芝居) スチール 武藤奈緒美 問い合わせ Hair&Make eida 03-3291-5450 おおのの info@oonono.com 撮影から数日後、写真納品。それを受け取った大野氏からメール。「こないだの稽古のときからびっくりするくらい変わった」と。その変化っぷりを楽しみに、日曜日eidaに足を運ぶ。さて、ひとめ惚れした飯田紬にそろそろ袖を通そうかな。 2011年 03月 09日
先日撮影した花組芝居の次回公演「番町皿屋敷」の宣伝用写真が劇団HPにアップされました。撮影後、制作日記用にと撮影したおちゃらけ写真や、制作さんによるオフショット写真も公開されています。「ふたりで花火を見上げている感じでお願いします」と伝えたら、「た〜ま〜や〜!」と言って手を叩く加納さん、花火を指差す小林さん。白塗りメイクの状態で思いきり笑うと、かなりおかしい絵面になる。宣伝用写真ではシリアスなシーンを撮影したから、そのギャップがとても面白かった。 「番町皿屋敷」と言えば、京極夏彦の「数えずの井戸」を思い出す。「嗤う伊右衛門」や「覘き小平次」に連なるこの作品にもまた、なんともやりきれない想いが描かれていた。京極堂が活躍するシリーズも好きだけど、こっちのお江戸シリーズもいい。読み出すと物語に描かれる心の闇や不可抗力的出来事にどんどん引きずり込まれていく。物語にからめとられていく面白さが味わえる。花組芝居の「番町皿屋敷」はどんな想いを描くのだろう。 2011年 02月 24日
「面白い物件が出た」と声がかかり、昼に墨田区は八広へ。
これが実に変で面白い物件だった。現状ではとても住める状況ではないのだが、三階建てで屋上まであって7万円!一階は印刷所だったそうで広々としており、二階が住居、三階に行くには一旦ベランダに出て外階段をのぼらなければならない。その階段の狭さといったら・・・。酔っぱらってのぼるのは無理そう。屋上からの眺めもまた面白い。屋根づたいにどこまでも行けそうだ。 声をかけてくれたのが爬虫類館分館のオーナーであり、リノベーションを得意とする方だったので、自分がこの物件をいじったらという話をあれこれ伺う。わたしなら・・・一階は暗室、二階は住居、三階は読書ルーム、屋上は家庭菜園、屋根の上で撮影したい。 分館でお茶をご馳走になった後、池袋の芸術劇場で二兎社の「シングルマザーズ」を観た。ここの舞台は8年前に初めて観てから欠かさず観ている。女性の生き方をさまざまに描き、困難に立ち向かわせながらも解決を見い出しエールを送りまくる・・・そんな作品が多い。説教めいたところはなく、コミカルとシリアスが絶妙に同居していて、観ていると泣き笑いしちゃう。これまでたびたび永井愛さんの描く世界に助けられた。自分がとても曖昧な心境や状況にあるときに、どういうわけかいつも二兎社の公演があり、笑い泣き、泣き笑いしてその曖昧さから抜け出せたということが度々あった。今回も果たしてそうだった。劇場から出たときの晴れ晴れした気分といったら!カーテンコールの女優陣(沢口靖子・根岸季衣・枝元萌・玄覺悠子)の晴れやかさが伝染したかと思うほどだった。ところは児童扶養手当削減を阻止するべく活動するシングルマザー支援団体の一室。「何そんなに笑ってんの?相当嬉しいことがあった?」「また養育費が途絶えた」「だって強制執行で給料から天引きになるんじゃないの?」「会社辞めて行方知れずなのよ」「えー!?」「あはははは!絶望の淵に立たされると人は笑うしかなくなるのね」・・・子ども三人をかかえながらパートを二つこなし、支援団体でボランティア活動をする初音は最初相談者としてそこを訪れた。たくさんのきつい現実に直面するうちに悲劇のヒロインから脱し、大声で笑いながらけなげに絶望感と闘っていた。そう、みんなけなげなのだった。ふつうに母子で生きていたいだけなのに、なぜそれすらも叶わないのかと、心の中で泣きながら闘っていた。 「女をなめんなよ!」っていう永井さんの声が聴こえてくるようだった。わたし自身仕事をしていて女だからと差別されたことはおそらくなかったと思われる。でもそれはカメラマンという自営稼業なうえに、結婚もしてなければ子持ちでもない、つまり逆にいえば、女であることを強烈に意識させられる事態に直面してこなかったからだとも言える。直面せずとも知って理解することはできる。永井さんは見事なまでに代弁者なのだ。 2011年 02月 13日
どうも家でじっとしているのが苦手だ。
それでも風邪っぴきだったきのうは、家でこたつに首までつかりじっとしていた。それも一日が限界。 今日は昼から湘南台に住む臨月の友人Y宅へTとともにおしゃべりしに行き、夕方には日吉に住むイラストレイターの岡田さん宅に、染織家の加代子さんとイラストレイターの京子ちゃんとともに伺い、夕ご飯をご馳走になってきた。一日丸ごと女子友と過ごした。おしゃべりってなんて楽しいんでしょう! Y宅では妊婦の生態(?)をTとともに興味津々できいてきた。いやー、まだまだ全然理解できないことだらけ。自分に置き換えて・・・なんてイメージがまるでわかない。厄年が明けたTは今年に入って何やら突然結婚出産願望がわき起こったそう。逆にわたしは個展を済ませた途端それらの願望がすっかりおとなしくなってしまった。学生のときからつるんできた同士だけど、人生の進め方は三者三様だ。 岡田さん宅に集ったメンバーはそろいもそろって自営業者なので、おのずとそのての話になる。そろそろエンジンかけて営業でもしなきゃって思うけど、なかなかテンションが上がらないというような話をしたところ、「二週間毎日個展会場に詰めて人と逢って話したわけでしょ?相当疲れたはずだからもう少しゆっくりしてていいんでない?消耗したところを埋めてあげないと先が続かないよ」というようなアドバイスをいただいた。たしかになあ、まんまと個展が終わった途端風邪ひいたし。ここはあれこれ予定を詰め込まず、今入っている仕事を丁寧に片付けながら、空っぽになった引き出しを少しずつ埋めていこうか。 きのうの夜更け、突如「六人のへそ曲り」の舞台を再びたまらなく観たくなった。即大野氏にチケットを確保できるかメールを入れる。で、今日の昼に「楽日にいらっしゃいませ!」の返事をいただく。13日の昼間は味噌作り体験に申し込んであったのだが風邪を理由にキャンセルした(たしかに咳がひどい)。味噌作りはこれからもできる、でも舞台は生ものだ。公演が終わったらこの先観られないのだ。通し稽古もゲネプロも初日の舞台も観たけど、もう一回たまらなく観たくなっちゃったのだから仕方ない。きっとあの舞台の中に今わたしが欲しい言葉や想いがあるのだろう。明日は千秋楽。鴎外や漱石、子規や虚子、紅葉や鏡花に再び逢いに行こう。 2011年 02月 10日
本日、花組芝居番外公演「六人のへそ曲り」が満員御礼で幕を開けた。
午前中から場当たり、昼過ぎからゲネプロ。ゲネプロ撮影にあたって場面場面の照明を確認しておきたかったので、10:30に下北沢の「劇」小劇場に入り、そのまま初日打ち上げまで参加して、終日下北沢で過ごした。 この作品も下北沢演劇祭の参加作品だ。2月になると下北沢の街には演劇祭ののぼりがはためく。大学三年のとき、わたしはこの演劇祭参加作品の出演者のひとりだった。「ガラスの仮面」好きが高じて芝居の世界に憧れた勢いで世田谷区民グループという即席のチームに応募し、プロの演出家に指導を受け、なんと本多劇場の舞台に立ったのだ。数ヶ月にわたる稽古と二回公演を経て気付いたことは、「わたしは役者には全く向いてない」ということだった。「ガラスの仮面」的に言えば、「役の仮面がかぶれなかった」ということだ。 ![]() 「六人のへそ曲り」はわたしがこよなく愛する日本文学の世界を描いた物語。後世「文豪」と呼ばれることになる文士たちの文学と格闘する青春の日々が描かれている。観ながら何度も「ああ、漱石ってきっとこういう人だったんだろうなあ」とか「なんか鴎外らしいよなあ」とか、遠い時代の文士たちに親しみを憶えた。なんだかとても幸せな舞台だ。たくさんの人に観て欲しいと強く思った。格闘する姿は文句なしに美しいのだ。 ![]() < 前のページ次のページ >
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