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2012年 02月 29日
土曜日に感情的になることがあり、それがずっとひっかかった状態だったので、別件のメールを送りがてら土曜日に伝えきれなかったことを改めて相手に伝えた今日。
それに対する相手のメールには、わたしの考え方はエゴそのものでそれは理想の形に反するものだという。相手は無色透明な姿勢を求めているようだ。カメラマンとして、撮った作品を発表したい(もちろん迷惑が及ばない範囲でだが)という気持ちは至極当然だと思うが、この件においてはその気持ちそのものがエゴだと断言された。エゴを誘発するような出来事をもたらしたのは先方なんだけど・・・。1月にさかのぼる。そりゃないよ、という出来事があった。とても落胆した。だけど、その落胆するということすらもエゴなのだ。 エゴであることを納得し相手の言うことも受け止めつつ、それでもなんとなくモヤモヤしていた。多分、場や機会を失いたくなかったから。で、気晴らしに着物で落語を聴きに行った。モヤモヤがはるかかなたに消えてしまうくらい、笑った。ああいい会だったなあって思いながらの帰り道、ストンと憑き物が落ちたような気分に至った。場や機会に執着している自分が阿呆らしく思えたのだ。あー、阿呆くさ。なんだって血眼になってそんなにそこに執着するのさ、と思った。感情的になった状況も思い出されて、見苦しいよ、愚か者めが、と思った。 ![]() もうこの件でごちゃごちゃ言うことはないだろう。落語を聴いたらすごくクリアになったのだ。落語が何か啓示を与えてくれたというわけじゃない。あのなんとも説明つかない落語の空気に醸されて、自分の執着が心底疎ましくなった。うっとおしいわい、阿呆らしか、みっともない・・・そう自分に向けて言い放った。場や機会は自分で生み出すものだ。与えられた場に執着するなんて、言語道断なのだ。 あの場で出逢った人たちとは、今後縁あらばまた出逢い直すだろう。この流れは、あの場に執着していないでちゃんと自分で場所を探しなさい、という暗示かもしれない。エゴだということをきっぱりと突きつけてくれた相手に感謝しなきゃだ。ひとつの執着から解き放たれたのだから。 2012年 02月 28日
二年前くらいに、作品を雑誌かなにかで見て気になっていた染織家・西川晴恵さんの展示に、このたび念願叶って出かけてきた。
twitterやfacebookを通して自分が着物好きなカメラマンであることを伝え、言葉のやり取りをさせてもらってきた。去年夏の日本橋三越でのグループ展示で小物作品をじかに拝見したことはあったが、帯作品を見るのは初めて。そしてご本人にお逢いするのも初めて、だった。 ![]() 糸の話や染めの話を伺う。「藍を建てる」という言葉の説明もしていただく。染め物なのに「建てる」とは。ラックダイという染料のことなども。麻糸のみで織られたものと、縦糸だか横糸だかに絹を使っているものとでは、藍の青さの出方も違う。同じ琉球藍でもいろいろな表情を見せる。野趣と洗練が同居する、一見静かなようで肝が据わった存在感を見せてくれる作品たち。こうしたものを見るときのならいで、頭の中で手持ちの着物に彼女の帯をのせてみる。思い浮かべるのはどれも紬のきもので、それも節が見られる素材感の強い着物ばかり。大地の恵みを一身に受けたような着物じゃないと、彼女の作品に太刀打ちできなさそうだ。 ![]() 2012年 02月 27日
先週金曜日、ひさびさの営業活動をしてきた。
以前お世話になった雑誌編集さんから写真の二次使用の件でメールがあり、やりとりの中で12月に書籍編集部に異動が叶ったと伺う。現場をご一緒したときはライターさんの紹介だったので、作品を見てもらわないまま今にいたってしまった。今更ですがよろしかったら作品見ていただけますかとお願いすると、快く時間をとっていただけた。 ![]() 仕事に繋げたいという気持ちはいつだって変わらないけど、いつの頃からかその日その時間に作品たちを見てくれるという相手との出逢いを楽しみにするようになった。いつものようなざっくばらんな感じで自分の写真の説明をし、相手の感想を丹念に伺う。作品を見せるという行為を介してコミュニケーションが生まれる。それがものすごく楽しくなった。いつの間にか、そんなふうに感じるようになっていた。 機会が山ほどたくさん欲しいな、作品を見てくれる人と出逢う機会が。ほんとなら積極的に異性との出逢いを求めるべき年齢ならびに状況なんだろうけど、こっちのほうは「出逢う運命をもって生まれてきたならいずれ出逢うだろう」という考えだから、なかなかエンジンかからない・・・。(写真はわたしの作品ファイルたち。もっとはばたいておくれー!) 2012年 02月 27日
土曜日。表紙の写真を撮らせていただいた国本武春先生の「待ってました 名調子!」(アールズ出版)の出版記念イベントがあるので、仕事でお世話になった眞理さんを誘い浅草へ。
会場へ行く前に浅草へ来たのだからと寄り道、・・・天然酵母のパン屋さん「粉花」へ。久しぶりの粉花空間が嬉しい。粉花姉妹が朗らかに迎えてくれる。聴けば昼前に売り切れになっちゃう日もあるそうで、どうやら昼過ぎの売り切れ寸前に滑り込めたのはラッキーなようだ。午前中に天気が悪かったのが幸いしたのかもしれない。 ![]() 2012年 02月 26日
今の白金高輪の事務所が3月いっぱいで撤収なので、先週土曜日に前もって目をつけていた物件2つを下見に訪れた。一緒に行くのは4月からスペースをシェアすることになった同業の友人。偶然にも友人が独立するタイミングとこちらの移動のタイミングが一致した。
最初は東京R不動産でみつけた原宿と外苑前との間にある物件。とても見晴らしが良く、角部屋なこともあって明るい。部屋の形はほぼ正方形。新しい物件ではないけれど、こまめにメンテナンスし大事にされてきた雰囲気がにじむ。窓の外にはDr.コパのお屋敷が・・・。それだけで縁起がいい気がしてくる。 ここにデスクを置いて、セットを組むときはこのあたりに組んで・・・などとイメージトレーニング。その物件で仕事をするイメージはたやすく浮かんだのだが、次に訪れた西参道の物件が先の物件を大きく上回る良さだった。 ![]() 物件にはうるさそうな友人が即断に近い勢いでここにする、と決めた。わたしに否やはない。わたしもこの空間に懐かしいような居心地の良さを憶えた。別に霊感が強いとかではないけれど、いい気を感じたのだ。 書類の審査に通ったらここが新天地になる。わたしはいつも前方斜め上あたりを見ている。時間は先へ先へと進んでいくのだから、過ぎ去った後方を眺めてみたところで何も始まらない。白金高輪のスタジオに差し込む光をとても好きだった。今度は新宿に程近いこの場所で、新しい光を求めるのだ。 2012年 02月 26日
ちょっと前に、青森土産のお裾分けに預かった。ひとめ見るなり、「何これー!?」と飛びつく。太宰治の「津軽」は「斜陽」の次に好きな作品なのだ。
「さらば読者よ、命あらばまた他日。 元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」 ![]() 2012年 02月 17日
正月帰省の際、弟に頼んで車を出してもらった。行き先は北茨城〜いわき。国道6号を北上すれば実家のある日立からわずかの距離だが、こんなふうになにかしら意識して出かけたことはこれまでなかったように思う。
移動していて気付くのは、国道6号から太平洋へは目と鼻の先だということ。北茨城より北のエリアでは、津波がこの国道を越え常磐線にまで流れ込んだという。津波に加え原発事故の影響で、常磐線の一部区間はいまだに復旧のめどがたっていない。高校時代に仙台でインターハイを見た帰り、仙台駅から日立駅まで鈍行でのんびりと南下したことがあったが、おそらくこの先何十年にわたってこのルートは使えない。原発エリアをもろに通る常磐線は、そのエリアを挟んで北部と南部とに分断されてしまった。 ![]() 北茨城からいわきの勿来まではすぐだ。弟によると、海沿いの風光明媚な大きな旅館が津波被害を受けたけど、再開したのは早かったそう。弟はゴルフをやるが、原発事故が起きてから福島のゴルフ場には行かなくなったと。結局弟が詳しい範囲でということで、小名浜を過ぎたあたりまで行き戻ってきた。基礎だけになった住宅地をいくつか見た。小名浜漁港そばの観光物産センターは混み合っているようで、駐車場は車でいっぱいだった。ほっとした。 ![]() 2012年 02月 13日
この正月に帰省した折、母校である小学校をふらっと訪れた。わたしが通っていた当時は、創立10年に満たない生徒数1300人超のマンモス校だった。今はだいぶ古びて、たくさんの年月が過ぎたことをそのたたずまいが静かに語っていた。
![]() 校庭を抜け、校舎の外まわりに向かう。卒業制作である風見鶏のレンガ塔が崩壊し、立ち入り禁止のテープが張り巡らされていた。震災の爪痕は残っていた。敷地続きの幼稚園に向かうと、園庭にブルーシートの山が見えた。もしやと思って近づいたら、除染作業の看板がたてかけられている。集めた土は運び出されることなくシートをかけただけで、園庭内にある。ここに我が子を通わせている親御さんはさぞや心配だろう。先生たちだって不安でならないだろう。 ![]() 2012年 02月 12日
まさか今年初の寄席行きがこんなに遅くなるとは・・・。新春気分からはすっかり遠のいてしまった10日、上席楽日。きものだと500円割引になる池袋演芸場へ。平日昼間だというのに13:30時点ですでに30名立ち見だという。通路は人でびっしりだった。
白酒師匠「ざるや」、伯楽師匠「粗忽の釘」、喬太郎師匠清水の次郎長噺、三三師匠「しの字嫌い」、雲助師匠「辰巳の辻占」、昼トリ馬石師匠「柳田格之進」。トリに向かってまっしぐら、笑いがどんどん増していく。馬石師匠が終えたくさんの拍手がわき起こり、座布団から降りた師匠が深々と何度も客席に頭を下げる・・・10日間のトリを勤め上げ安堵でいっぱいといった面持ちで。それを観て涙が出そうになる。楽日のこういう雰囲気、とてもいい。「お疲れさん」という思いが拍手にこもり、寄席全体があったかい空気に包まれる。 瞬く間に夜の部が始まる。開口一番は志ん輔師匠のお弟子さんの半輔さん。どこがどうとは言えないけど、やはり師匠のDNAを感じる。志ん八さん「牛ほめ」、左龍師匠「棒鱈」、仲蔵師匠「長屋の花見」、たい平師匠「干物箱」、権太楼師匠「幽霊の辻」。ここまで聴いて寄席を後にした。左龍師匠の「棒鱈」は何度か聴いているけど、毎回とにかくおかしくってたまらない。権太楼師匠の「幽霊の辻」は聴くたび「いちばんミステリアスなのって茶店のばあさんじゃないかしら」と思う。寄席にこもっていると時間のたつのがほんと早くて、あっという間に日が暮れ夜が訪れる。ほくほくした気分で事務所へ行き、納品作業。息抜きの後の作業ははかどる。この日のきものは年末に麻布十番・松美屋さんで若旦那から「武藤さんが好きそうなの入りましたよ」と見せられたもの。ひとめ見るなり「取り置きしておいてください!」と言い、ようやく引き取ってきた。若旦那に好みをすっかり把握され、毎度きもの欲をくすぐられる。いったん好きになったら着物病は治らないらしいから、気張って働くしかないってことだあね。 2012年 02月 09日
先日、コンサルティング会社の女性社長・Yさんから撮影依頼をいただき、彼女の会社のスタッフ・Sさんと三人で葉山&逗子を移動しいしいポートレイトを撮影してきた。合間合間にランチしたりお茶したり、おしゃべりもふんだんな楽しいひとときだった。
そんなさなか、どういう流れだったかは失念したが、ファッションの話になった。「むーちょは白シャツが似合うと思うよ」とYさん。その日のわたしの服装は、モヘアの濃いピンクのカーディガンに、インナーにはグレー地に薄いピンクの水玉模様のパーカー、デニムにスエードのブーツ。水玉パーカーの代わりに白シャツを着たらかっこいいし似合うだろう、とのこと。ブラウスじゃなくてシャツ。襟が小さいのじゃなくて、ざくっとしたナチュラル系な感じのがいい。むーちょは黒は避けたほうがいいね・・・。ショップ名がずらずらと挙げられる。どこも買い物したことがなかった。「45rpmとかけっこう好きなんですけどどうですか?」と尋ねると、「45ではラインがメンズっぽいねとYさん。 きいていて「ふむふむなるほど」、がたくさんあった。現在洋服を選ぶ基準は「重たい機材をかついでも破けないような丈夫なもの」「ラインがすっきりしているもの」だ。遊び着はきものがあるからと、洋服のほうは仕事着一辺倒で、気付けばパーカーだらけ。女性的なものは皆無に等しい。それでいいやと割り切っていたのだが、つまりは割り切るのではなく、自分の仕事スタイルに寄り添いつつ大人の女性らしいアプローチをしてみてはどうか、ということなのだ。 そういえば、心の師匠にも以前言われたのだった。「仕事をしているときがいちばんかっこよく見えるはずなんだから、おしゃれしなきゃ」と。たしかに、そうなのだ。仕事中がいちばん本領発揮しているはずなのだから、そこでおしゃれをせずにいつにする、なのだ! ![]() 白シャツから始まる春。いちばん長い時間を過ごす「仕事中」を着るものでも楽しむべく、目下あちこち物色中だ。出費も覚悟・・・痛いけど・・・で箪笥に春風を吹き込もう。 < 前のページ次のページ >
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