フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


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4月、一瞬で暮れた

 ようやくブログを再開させたのに、2回しか更新できずに4月が暮れた。一瞬みたいな時間の流れ様だった。
 もちろん一瞬みたいなんてことはなくて、振り返ってみればあんなこともこんなこともあったのだ。夏の終わりぐらいまでコンスタントに撮影が入る予定の新規案件とかこの時期毎年依頼のある年一案件とか・・・結果的に忙しいひと月になったのは連休前駆け込み需要が思いのほか多かったからだ。

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 褒めてもらう機会がやたら多いひと月でもあった。別に褒めてもらいたくて写真を撮っているわけではないけれど、褒められたらやっぱり嬉しい。あ、大丈夫ね自分の方向性は、と確認もできる。生きていくための術として選んだ仕事だから、評価されれば次の幕が開く可能性が生まれ、結果首がつながる。
 とはいえ、常に背水の陣であることに変わりはない。調子がいいときでも常にそういう念を持ちながら暮らすことにさすがに慣れた。この2年間続いているコロナウィルスの蔓延がもたらした影響のひとつと言えるだろう。老後の不安を先取りして備えていたって、いったん強力なウィルスが蔓延したら全部ひっくり返るのだ。先取りして憂えたって無駄だ。極端だけど、明日はどうなるかわからないから今日目の前のこの仕事をめちゃめちゃ頑張るのだ、今日は今日、明日は明日、いちにち一日なのだ・・・ちゃんと心からそう思えるようになってからなんだか強くなった気がする。ある意味これもウィルス耐性。

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 この連休は前半は作業と撮影、後半は帰省すると前々から決めてあったから、連休前にひとまず仕事は片付けておいた。時間を調え、前半の作業・・・動画の編集に取り組む。やってみて気付くこと知ることがたくさんあって、目はしょぼつくし老眼がいよいよ始まった気配が薄々あるのだけど、この作業がやたら面白い。まだちゃんと仕事化はしていなくて、スチールの撮影を受注した折に試しに動画も撮らせて欲しいと申し出て撮り、編集も試みている。そうでもしないと覚えられないと思ったから。
 作業をしているとあっという間に日が暮れる。今日も朝からずっと作業して、気付けば夜になっていた。まだまだひ弱なスキルだけど、20代から30代前半まで映画を見まくっていたのはおそらくとても役に立っていて、どんなに短い動画でもストーリーを感じられるものにということを念頭に置いている。

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 明日からはウェブサイトのリニューアル作業に着手する。去年の今時分、リニューアルを掲げたけれど頓挫した。今度こそはと思い、作業の段階ごとに締切を設け、友人に見張り役になってもらい、締切を破ったらペナルティで罰金を払うことに決めた。友人は「嫌いな政党に寄付されたくなかったら締切厳守ね」と言っている。最初の締切は連休末日、ウェブ全体の構成を決めるところまで。すでに時間が足りなくなっている。


# by naomu-cyo | 2022-05-03 03:25 | フォトダイアリー | Comments(0)

食わず嫌い返上

 名前は知っている。周りにその作家の作品のファンもいた。けれどなんとなく敬遠してきた。読んでも好きになれないような気がしてその人の書く本を手に取ることすらしなかった。食わず嫌いというやつだ。

 ところが。アニメ「平家物語」が放映された途端、原作になっているその作家が現代語訳した「平家物語」をむしょうに読んでみたくなった。そういう人が多かったのだろう。リアル書店でもネット書店でも売り切れで、版元のウェブサイトで増刷中であることが知れた。待ち望んだ入荷予定日、すぐにネット書店で購入手続きをし、じりじりしながら発送通知が来るのを待った。こんなふうに本の訪れを待つのはいつ以来だろう。届いた途端読みかけの本をいったん横に置き、古川日出男現代語訳の「平家物語」に飛びついた。「平家物語」という私にとってのパワーワードがあっさりと敬遠を解いた。

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 初めまして、古川日出男様。
 あなたの「平家」に出逢う以前に私は講談社学術文庫の「平家」で原文と現代語訳を読みました。それと比較するとあなたの訳した「平家物語」は、この物語を語る琵琶法師の息継ぎまでもが聞こえてきそうな、今目の前で語られているかのような臨場感にあふれていました。私は室町時代の京都のどこかの辻で、琵琶法師が語る平家一族の物語を、めいいっぱい想像を働かせながら息をつめるようにして聞いている民衆のひとりになっておりました。

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 「平家物語」というのは平家一門の栄枯盛衰を描いた軍記物で叙事詩で・・・という、かつて授業で使った日本文学便覧に書いてあることをそのまんま受け取り、古文の授業で「祇園精舎」と「扇の的」「敦盛最期」を習い(思えばなぜこの3つなのだろう)、一部分を知ったに過ぎないのにその物語を好きな古典のカテゴリーに加えてきた。
 去年春から「平家」のzoom講座を受け、原文や現代語訳を読み進めていくうちに、なにゆえこの物語が描かれたのかが気になり出した。そして冬のある朝、仕事場へと歩いている途中で突然、「鎮魂」という言葉がぽんと浮かんだ。そうか、「平家」は鎮魂の文学なのだ。語り継ぐことで魂を鎮める。それは、祀ることで菅原道真の荒ぶる魂を鎮めようとしたのと同じ類だ、と。気付いてみたらなぜ気付かなかったのかが不思議でならないくらい、それは至極当然であると思えた。次には、叙事詩ではなくむしろ抒情詩なのではと考えるようになった。「平家物語」を叙事詩と呼ぶにはあまりにも顔が見える。時代の流れという縦軸にその都度絡んでくる人たちの物語が、その時代を生きて生きて死んでいった人たちの物語が、数多く描かれている。軍記物で叙事詩で、とまとめられる物語ではないだろうと思い至った。

 「平家」の現代語訳を皮切りに古川日出男作品を立て続けに読んでいる。「平家物語 犬王の巻」、「ゼロエフ」と読んで、古川氏が「平家」に取り組み現代語訳したということが後続の作品に強く影響しているのを感じた。そんな折、なんの気なしに聴いていたラジオ番組のその日のゲストが古川氏で、初めて肉声を聴いた。読み終えたばかりの「ゼロエフ」の語り口とその声音が一致した。ほんの数ヶ月前までは食わず嫌いで敬遠していた作家が一気になだれ込んできた。
 思えば「平家物語」を通してさまざまな表現に出逢ってきた。能や歌舞伎、文楽、演劇、ドラマに映画、絵本に小説、アニメ。そこにこのたび作家・古川日出男氏が加わった。

# by naomu-cyo | 2022-04-05 09:33 | 読書 | Comments(0)

再開。

 4月1日。撮影でいらしたカシミアニットブランドのnaocoさんが「今年、ブランド10周年イヤーなの。盛り上げていくためにも何かイベントを考えようと思って」と撮影合間のお茶タイムに話していらした。10周年と伺ってはっとした・・・そうだ、わたし、代々木に拠点を置いて丸10年が経ったんだっけ。

 「この日から」とはっきり意識しているわけではない。ただ2年おきにこの時期更新手続きの書類が届く。更新料を振り込んだばかりだから、さてここから新たな2年が始まると思ったのだった。

 去年の春から健康食品会社のウェブマガジン内でフォトエッセイの連載をしている。一年続けてみて、ふだん文章を書かないと言葉というのはなかなか見つけられないんだということを痛感。にもかかわらず、ブログ再開を先送りにしてきた。年を重ねてそういうようなことが増えてきてしまっている。どうにかしたい。まずはアクセスしやすいことから。代々木の11年目、そして新年度の始まりに乗って、放置したままだったこのブログを再び始めよう。以前同様、肩肘張らず、思ったことを気ままに。

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# by naomu-cyo | 2022-04-02 05:58 | フォトダイアリー | Comments(0)

「平家物語」講座

5月から、木ノ下歌舞伎主宰の木ノ下裕一氏による「平家物語」のzoom講座を受講している。もともとなんとはなしに「平家物語」が好きで、コロナで仕事が落ち着いた状態なので時間がある、劇作家が「平家物語」をどうとらえるのかにも興味があるということで、聴講生ではなく参加型の受講生枠に申し込んだ。

十三巻に及ぶこの物語を月1の講義で1年間。講義時間は3時間、課題講評の時間が1時間強。けっこうなボリュームだ。新たに知ることがあまりにも多く、いや、なんとはなしに好きだというわりにあまりにも知らないことが多かったのだ、へえーへえーと面白がっているうちにあっという間に時間が過ぎる。

物語の流れのみならず、人物像や物語の構造にも切り込んでもらえるおかげか、「平家物語」が次第に立体的に感じられるようになってきた。これは今回のテキスト「覚一本平家物語」が琵琶法師による語り本であることにも起因していると思われる。語りで聞いて理解できるということは、聴く側がおのおのイメージを浮かべやすい言葉遣いや構成になっているのだろうから。平安時代末期の風景なんて知る由もないのに、頭の中にビジュアルを浮かばせるのだからすごいものだ。

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受講生には毎度課題が出される。これが私にはひどく難しい。他の受講生はおそらく演劇関係が多い様子で、大半の方が課題をそれぞれに解釈して一本の物語を創作してくる。思いつきと勢いだけで書いた初回の課題は、講評時間に触れられもしないほどの代物で、他の方の課題を読んで自分の次元の低さを思い知った。

しかしめげている場合ではないのだ。私はこの講座を受けることで物事を深める癖をつけたいのだ。これまで自分のことばかりあーだこーだ考えて堂々巡りを繰り返してきたが、自分ではない対象を客観的に見て深めることを身につけたいのだ。

8月提出の課題は「有王」。鬼界ヶ島に流刑になった俊寛の死を見届け菩提を弔う役目として登場する人物だ。ここのところずっと、有王のことばかり考えている。「有王」を写真で表現するには。どうアプローチしたら有王を描けるか。ふと、こんなとき北島マヤならどう有王を理解し演じるのかななんて漫画の主人公を思い浮かべ、二次元も三次元もまぜこぜ、愚にもつかぬことに頭をめぐらせている。時間があるっていいことだな。なんだか少し豊かな気分だ。



# by naomu-cyo | 2021-07-25 01:49 | 読書 | Comments(0)

なさけない記

 3ヶ月以上空いたにも関わらず、そこに触れるとすべてが書かないでいたことの言い訳めいてくるのですっ飛ばすことにして、と。

 郵便局からの帰り道、仕事場近くの遊歩道の次第に緑が増していく樹々を見上げながら考え事をしていた。

 大したことは考えていない。

 今日はいい天気だな。今時分の緑は冴え冴えとして実に爽やかであるなあ。今日も仕事場にいい光が入っている。きのうの光も絶好でいい撮影ができた。光を作るのは苦手だけど、入ってくる光を遮ったり透過させたりして塩梅するのは得意だ。Y嬢との仕事はいつも、対象であるモノとそこに在る光をじっくり見つめながら進められる案件で、いい写真が撮れたという実感がある。そういう仕事をもっともっと増やしていきたいものだよ。その光を手放したくなくて店賃を払っているようなもんだしさ。店賃なー。これを捻出するのが大変なんだけど。頭のいい息子を中高一貫校の私立といくつかの学習塾に通わせているようなもんだな・・・というような流れでわたしの思考は動いていた。そこではたと止まった。わたしが仕事場に毎月払っている店賃は、学生時代に両親が仕送りしてくれていた金額と同額ではないか。借り始めて9年目の気付き。うひゃあとなった。

 仕送りプラス毎年の学費。結構な金額である。それを4年間算段してくれていた。なのにわたしはといえば、単位をぼろぼろ落とし、バイトと映画館通いに明け暮れ、ろくに勉強をしなかった。かつ不安定極まりない仕事を選び、結婚も出産もせず親に仕送りすることもなく40代後半に突入した。世間的にわかりやすい親孝行が全くできていないのだから、これはもう息災に真摯に幸せな気持ちで日々を全うしている姿を見せることくらいでしか親孝行は成り立たんだろ。父よ母よ出逢ってくれてありがとう。この世界に生んでくれてありがとう。奈緒美はめちゃめちゃ楽しく濃く充実した毎日を生きてます・・・わたしにできる唯一残された親孝行がこれなんじゃないか。

 ここのところ心のキレが悪くて、意気消沈気味だった。しょぼくれていると考えることも貧相になっていき、自分を見失っていた。光が明るい季節を迎えマスクを外した顔を見てシミが増えていることに愕然とし、物理的なケアすら怠りまくっていたことに気付いて、慌ててパックやらなんやらを購入した。髪を切りに行ってヘアメイクの美紀さんに近況報告したら「むーちょはね、ミソもクソも一緒になってるの。何にでも余計な感情を持ち込みすぎなの、整理できてないの」と頭の上から言葉が降ってきて、あまりにも思い当たることが多すぎて腑に落ちて、脳内を覆っていたもやもやの膜がペロリと剥がれた。憑き物が落ちたみたいに。「いちにち、いちにち、その日その日、と思って過ごすのよ。そういう思考に意図的に変えてゆくの。そしたらそういうふうになっていくんだから」と。しているつもりでいたけれどできていなかった。あれもこれもみっともないことであった。

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 自分の生のかたち。自分の在り方。いくつになってもそこでつまずくし揺れる。心のかたちがなかなか定まらない。美紀さんに言わせれば「余計なことを考えるのはね、むーちょ、暇ってことだよ」ということらしい。懸命に生きていないのかもしれない。いや、そうなのだろう、集中していないのだろう。言われて「うわっ、なさけない」と恥ずかしくなった。自分のことが一番わかっていない。

 仕事場の光を思ったことが引き金となって改めて親への感謝がつのり、そしてしあわせでありまくってやるぞという決意に至った。そろそろ連休だし久しぶりに帰省して親の顔が見たいなあと思ったのだけれど、「今年は町内会の班長だから感染拡大が止まらない東京から娘が帰ってきているなんて外聞がよろしくないもの、帰ってこなくていいわよ」と言い渡されているので、しゃあない、去年同様東京でいちにち、いちにちを刻んでいこう。

 相変わらず自分の取り扱いに手を焼き(美紀さんに言わせれば暇だから、だ。その通りだな)、自分の匂いを嗅ぎながら同じところをぐるぐるうろうろしているみたいなことの繰り返しなのだが、それでもわたしはそんな自分を諦める気にも見放す気にもなれない。善く、良く、生きたい、生きていたい。「今日いちにち、よく生きました」。その姿勢は基本だし真理なのだろう。そこだ、そこ。そこから。

 お知らせ。去年の自粛期間中に考えたことをようやく実行、ネットショップを開きました。
 オリジナルの紙類を写真で作ってみませんか?

# by naomu-cyo | 2021-04-20 12:29 | フォトダイアリー | Comments(0)