太宰がいっぱい!〜「元気で行こう絶望するな、では失敬。」を観る〜
2010年 07月 15日
パラドックス定数 第22項
パラドックス定数+三鷹市芸術文化センターpresents
太宰治作品をモチーフにした演劇第7回「元気で行こう絶望するな、では失敬。」
会場の三鷹芸術文化センターは太宰の眠る禅林寺のすぐそば。今年は忙しさに紛れて気付いたら「桜桃忌」が過ぎていた。去年は「桜桃忌だー」って思いながらさくらんぼを食べたのに。
男子高校生20人が主人公。太宰作品から引用された言葉たちが彼らの高校生活の中に混じり、授業や会話の中に折り込まれる。「ぼくの赤ちゃんが生みたいのかい?」・・・「斜陽」に出てくる作家・上原の言葉。生徒のひとりが年上の彼女を妊娠させたことを告白するシーンでこの台詞が巧みに使われていた。思わずクスクス笑ってしまう。そんなふうにとりどりに「太宰」が組み込まれて物語は進行していく。18歳の彼らはそれぞれに「太宰」を内包していた。そして事件は起こる。クラスのいじめられっ子が禁忌の森に入ったまま失踪してしまう。
18年の月日が過ぎて36歳になった彼ら。今里以外は誰も失踪した友哉のことを憶えてない。高校時代友哉に「俺も下に見られてんのね。友哉には全然関係ないんだけど。だからさ・・・更に下を見つけないと俺達、何か、やってけないんだよ」と言い放った高井は何か大事なことを忘れているのに気付いている。36歳の今里の前に18歳のままの姿で友哉は現れる。友哉は変わらず「太宰」を内包したまま、きっと今里や高井も昔ほどじゃないけど「太宰」を内包している、ほかのみんなが喪失したり手放したりした「太宰」を。
この舞台を観て、「太宰」を内包しているとか手放したとかいうふうに勝手に感じたけれど、その「太宰」ってのがなんなのかはなんとも説明がしにくい。漠然としたイメージは胸の中にある。きっとみんなそこを通ってきたのだと思う。「太宰」から円満別離した人、「太宰」なまんまの人、「太宰」を忘れてしまった人、「太宰」に毒されている人、「太宰」を時折懐かしむ人・・・スタンスは様々だ。以前読んだ太宰作品の解説でたしか真鍋呉夫氏が、若い時代に太宰にはまるのは一過性の熱病みたいなものだという意見に対して、熱病などではない、現にいくつになっても胸が熱くなるではないか、というようなことを書いていたように記憶している。それを読んだとき、そうだそうだ真鍋氏の意見に大賛成、と思ったものだ。
わたし自身「太宰フリーク」ではなく「太宰ラブ」くらいな距離感で「太宰」作品とつき合ってきた。これからも多分そんな感じで行くだろう。手放したり忘れたりはきっとできない。そんなことを頭の中でぐるぐる考えながら観たパラドックス定数のこの舞台、とてもとても良かった。この劇団の公演を観るのは初めてだから、きっかけは「太宰」がくれたってことだ。いや、加藤君か。