フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


by naomu-cyo
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太宰がいっぱい!〜「元気で行こう絶望するな、では失敬。」を観る〜

 舞台を観に行ってパンフレットを買ったことは何度かある。けど、台本を買ったのはおそらくこの作品が初めてだ。

 パラドックス定数 第22項
 パラドックス定数+三鷹市芸術文化センターpresents
 太宰治作品をモチーフにした演劇第7回「元気で行こう絶望するな、では失敬。」
太宰がいっぱい!〜「元気で行こう絶望するな、では失敬。」を観る〜_a0025490_613435.jpg
 5月のことだったか。新宿駅構内でばったり「劇団ホチキス」の役者・加藤敦に逢った。彼は柱によりかかって人待ち風にメールを打っていた。「加藤くん!」「おーっ、お久しぶりです!」・・・ほんとに久しぶり。1月のPONYライブ以来か。近況を尋ねるとこの舞台に出演することを教えてくれた。「太宰大好きなの。公演の詳細送って!」とお願いすると、後日、長ーい宣伝コピーとともに詳細が届いた。舞台のタイトルにニヤリ。太宰治の「津軽」の締めの文章がそのままタイトルになっている。唯一楽日しか行けそうもなかったので、7月になったことだしと麻の着物を一年ぶりに引っぱり出し、パッケージに龍馬が描いてあるレトルトカレーを差し入れに買って、るんるんで出かけた。

太宰がいっぱい!〜「元気で行こう絶望するな、では失敬。」を観る〜_a0025490_601830.jpg 会場の三鷹芸術文化センターは太宰の眠る禅林寺のすぐそば。今年は忙しさに紛れて気付いたら「桜桃忌」が過ぎていた。去年は「桜桃忌だー」って思いながらさくらんぼを食べたのに。

 男子高校生20人が主人公。太宰作品から引用された言葉たちが彼らの高校生活の中に混じり、授業や会話の中に折り込まれる。「ぼくの赤ちゃんが生みたいのかい?」・・・「斜陽」に出てくる作家・上原の言葉。生徒のひとりが年上の彼女を妊娠させたことを告白するシーンでこの台詞が巧みに使われていた。思わずクスクス笑ってしまう。そんなふうにとりどりに「太宰」が組み込まれて物語は進行していく。18歳の彼らはそれぞれに「太宰」を内包していた。そして事件は起こる。クラスのいじめられっ子が禁忌の森に入ったまま失踪してしまう。

 18年の月日が過ぎて36歳になった彼ら。今里以外は誰も失踪した友哉のことを憶えてない。高校時代友哉に「俺も下に見られてんのね。友哉には全然関係ないんだけど。だからさ・・・更に下を見つけないと俺達、何か、やってけないんだよ」と言い放った高井は何か大事なことを忘れているのに気付いている。36歳の今里の前に18歳のままの姿で友哉は現れる。友哉は変わらず「太宰」を内包したまま、きっと今里や高井も昔ほどじゃないけど「太宰」を内包している、ほかのみんなが喪失したり手放したりした「太宰」を。

太宰がいっぱい!〜「元気で行こう絶望するな、では失敬。」を観る〜_a0025490_5593890.jpg この舞台を観て、「太宰」を内包しているとか手放したとかいうふうに勝手に感じたけれど、その「太宰」ってのがなんなのかはなんとも説明がしにくい。漠然としたイメージは胸の中にある。きっとみんなそこを通ってきたのだと思う。「太宰」から円満別離した人、「太宰」なまんまの人、「太宰」を忘れてしまった人、「太宰」に毒されている人、「太宰」を時折懐かしむ人・・・スタンスは様々だ。以前読んだ太宰作品の解説でたしか真鍋呉夫氏が、若い時代に太宰にはまるのは一過性の熱病みたいなものだという意見に対して、熱病などではない、現にいくつになっても胸が熱くなるではないか、というようなことを書いていたように記憶している。それを読んだとき、そうだそうだ真鍋氏の意見に大賛成、と思ったものだ。

 わたし自身「太宰フリーク」ではなく「太宰ラブ」くらいな距離感で「太宰」作品とつき合ってきた。これからも多分そんな感じで行くだろう。手放したり忘れたりはきっとできない。そんなことを頭の中でぐるぐる考えながら観たパラドックス定数のこの舞台、とてもとても良かった。この劇団の公演を観るのは初めてだから、きっかけは「太宰」がくれたってことだ。いや、加藤君か。
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by naomu-cyo | 2010-07-15 06:01 | お芝居 | Comments(0)