フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


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「文藝春秋」3月号を読んで

 久しぶりに「文藝春秋」を買った。芥川賞受賞作品を読みたかったから買ったわけだが、なかなかその小説部分にたどり着けない。前に掲載されているほかの特集が実に面白いからだ。

 例年通り2月暇気味状態なうえに個展後症候群で気が抜けていることもあって、感情が野放しになっている。おかげでとっても涙腺が弱い。新聞の特集を読んでは泣き、志らく師匠の「中村仲蔵」を聴いては泣きが入りそうになり、飼い猫ぱちがべったりと寄り添ってきて眠る姿にも泣きそうになる。そんなだから、事務所から帰る電車の中で「文藝春秋」3月号の特集「秘めたる恋35」を読んで泣けてきた。古今東西の情趣ある恋物語が紹介されていた。

 大学4年のとき、卒論で作家の檀一雄を取り上げると母に話したら、「なんでまた家族を捨ててたような作家を・・・」と絶句された。そうか、世間的にはそういう認識なのか。そんなこと言ったらどの作家も取り上げられないよ。残された作品が胸を打つのなら、その作家のプライベートが破天荒だろうとかまわない、それもまたその人の色気の部分だろう、と反論した。まあ、浪人までさせ4年間東京の私大に通わせた親からすれば、もっと集大成的なテーマに挑んでもらいたかったのかもしれず、絶句もさもありなん、か。
「文藝春秋」3月号を読んで_a0025490_8373148.jpg
 変わらずに檀一雄作品は大好きで、今回の文春の特集を読んだらまた「火宅の人」を読み直したくなった。自分が伴侶をもったらこの作品を読む目線や心情も変わるものなのだろうか。そうなってみないことにはわからないけど、でもきっと変わらないだろうと思う。檀一雄にかぎらずそれが太宰治だろうと誰であろうと、その人のプライベートにばかり目がいって作品を受け付けない、ということはないだろうと思う。作品はあくまで作品。それに聖人君子が書くものには正直ほとんど興味がない。どんな状況・・・それがたとえ本人の自業自得であれ・・・をかかえていようとも、全身全霊で書かれたものには普遍の魂が宿っているのだ、と思っている。そして読み手はその魂に感応するのだ。
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by naomu-cyo | 2011-02-20 08:37 | 読書 | Comments(0)