人が住まってこそ
2011年 04月 22日
外観を撮って内観を撮って、夜に終了。機材をばらしてモデルハウスを出たとき外は真っ暗で、もちろん人工の街並に人は歩いていなかった。人が住まう家がありながら、人の気配がない。夜の暗さも手伝って、なんとも不気味だったのを憶えている。
インターネット上にアップされている原発20km圏内の写真を見ていて、あのときの不気味さをなんとはなしに思い起こした。ただ、20km圏内の町たちは地震や津波被害がありつつも生活感がそのまま残った状態だったから、住宅展示場のいかにもこしらえましたといった感じはない。まるで町中の人たち全てが神隠しに遭って忽然と消えてしまったかのような、住まう人と住むところとの繋がりが唐突に断ち切られたとしか思えないような、そんな風景だった。
支持を受けさまざまな決定権を掌握するにいたった立場の人が、どうして命を救うための決定をできないんだろうか。わたしが泣いたって何も変わらないが、決定権を持つ人が「避難させよう」とひと言いえば変わるのに。
息をするものが住まってこそ、「町」なのだ。
(写真は以前訪れた福島・小名浜の風景)