二度目ましての大分へ
2011年 10月 28日
初日は別府、宿泊は大分市、翌日は吉野原と院内町。大分の名物を取り上げるという仕事で、回った三カ所とも食べ物が主役。そして昼にはだんご汁、夜には関あじの刺身をいただくという、まさに大分尽くしの二日間だった。その土地の名物を食すのはえらいこと楽しい。
福岡出身の担当さんと一緒だったから、九州のだしの話や食文化の話などを興味津々に伺う。うちの実家はほんだし文化だったから、だしの地域性がとても面白い。ずっと以前、鰹節削り器の会社に取材に行った折、その削り器「おかか7型」をいただいてからというもの、うちでは鰹節でだしをとっている。
東京にいると原発のニュースが実に身近に感じられるが、大分ではそんなこともなく、何も気にせずに食べ物を口に運び、心ゆくまで外の風景を楽しんだ。関東と九州で見た目に何か変化があるわけではないのだが、東京で目にする風景には陰があるような気がしてしまう。心穏やかに愛でにくいとでも言おうか。それもまた現時点では受け入れざるを得ない現実なのだが。
稲刈りの終わった田んぼに雲間から逆光が差し込んできらきらと輝く。さほど大きくはない集落が、その背後に静かにたたずむ。そして別府の地形には目を見張るものがあった。あの長々と海の直前まで続く緩い坂道の長さったら。ほうぼうで温泉の湯気が湧いているし、街が山に覆われ反対側は海。高台にあがれば、別府湾の美しい湾曲が眺められる。面白い街だなあと上下左右移動しながら何度も思った。そして院内町で見た一面のゆず畑。緑の重なりの中にぽつぽつと水玉模様のように黄色が冴える。土地土地の風景というものがたしかにあるのだなあということを、かみしめる。
出張撮影で遠出するたび思うのだ。行く先々どこも満ち足りている感じがする。では自分が求める満ち足りた感や豊かさの正体ってどんなだろう、と。