悩みは全て解決済み。
2012年 01月 16日
いい加減処分しようと考えていた21歳から26歳くらいまでつけていた日記。万が一突然命を落とすことがあるかもしれない、見られて困るというよりもこっ恥ずかしい。死んでしまったら恥ずかしいも何もないが、みっともないものは処分しておこうと思っていたのだ。
ノートのワイヤーをペンチで切って外す。ばらばらになった紙たちを手で縦に裂いていく。自宅にシュレッターなどという気の利いたものはないので、ひたすらに手作業。ノートの間からばらばらこぼれ落ちていくのは映画や写真展の半券たち。それらの感想をこまめに綴ったものだ。時々手を止めて読んでみる。当時はどんなことに悩んでいたのか、何に迷っていたのか。かつての自分の悩みに触れてみて、それらが全て解決していることに気付く。悩みの内容すらきれいさっぱり忘れていた。つまり時の経過となにかしらの経験の結果、いつの間にか解決していたということだ。30代も後半にいたった今となっては、ちゃんちゃらおかしい悩みもたくさん綴られていた。年をとるのもなかなかにいいではないか、と思えた瞬間。
「人間は奮闘しなくてはいけない。人の百倍奮闘しなさい。そうすれば人は人間としての種の保存の本能から、奮闘する者を愛します。私の目の黒いうちは、あなたたちを応援してあげられるけれども、そんなに生きられない。だから奮闘しなさい」(インタビューの一部を抜粋)
これを読んで「奮闘」という言葉が頭の中に焼き付いた。作品から感じ取れる檀一雄という作家もまた、奮闘する人であった。そして今年は檀一雄生誕100年だ。久しぶりに彼の郷里・柳川を訪れたくなった。
そしてもうひとつ、ここにあったのか、とはっとしたもの。それはわたしに写真の世界へのきっかけをくれた写真家・出川香澄さんの写真展のDM。でもこの写真展は彼女の死後に開催されたものだ。中国の雲南省に作品を撮りに出かけ、乗っているバスが現地で起きた土石流に巻き込まれて彼女が帰らぬ人になったのは、もう10年ほど前のことだ。29歳という若さだった。写真展を通じて彼女のお父様とやり取りする機会があり、その際に「今でも成田空港に行けば娘がただいまと帰ってきそうな気がしてしまう」とおっしゃっておられたっけ。彼女と写真の話をしてみたかった。何を求めて雲南省に行ったのか、作品を撮るって彼女にとってどういうことなのか、そういう話をあれこれとしてみたかった。
自分を変わらず鼓舞してくれる言葉や存在。この二点は日記とともに処分するのではなく、わたしの指標として手元にしっかり残しておこう。