フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


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石井ゆかりさんの「好きなもの」

 毎日新聞の日曜日の書評ページに「好きなもの」というコーナーがある。その日の書き手が自分の好きなものを3つ挙げてそれについてコメントするコーナーで、わたしはこのコーナーがけっこう好きだったりする。

 きのうは石井ゆかりさんだった。石井さんは「しめ鯖」と「本の頁の角」と「青インク」を挙げていて、うち「しめ鯖」のところにひじょうに面白いことが書いてあった。

 「私には『好きなもの』というのは心当たりがないのだ。『愛好』というような爽やかな距離感でものに接することがまず、ない。(中略)『好き』などというライトな言葉では間に合わないのである。『好き』という言葉は、私にとってはぬるま湯のようにぬるいのである。ゆえに私の行動パターンはいつも過剰だ」と書き出した後で、居酒屋でしめ鯖をおかわりまでし、ついには何も聞かなくても店の人がしめ鯖があるかないか教えてくれるようになったんだそうで、「そうなるくらいでないと、愛着を表現できた気がしないのである。我ながらキモチワルイなと思う」んだそうな・・・(「」部分引用)。

 わたしにしてみたら、そんな石井さんは「キモチワルイ」人というよりも、親しみの湧く愛すべき人だ。見事なまでに感情のバランスがとれた人よりも、よっぽど人くささが感じられる。そして多分わたしにも少なからず石井さん的な傾向がある。

石井ゆかりさんの「好きなもの」_a0025490_292643.jpg
 話し言葉では「好き」のひとことにいくらでも気持ちを乗っけて表現できるけど、書き言葉だと「好き」は「好き」でしかない。それでは物足りない「好き」もある。たとえば季節柄「栗」を挙げてみる。袋入りの栗を買ってきて茹でると、何日もだらだらと匙で実をすくって食べている。なくなるのが見えてくると、またひと袋買ってくる。栗の時期はひたすらこれが続く。それから「くるり」。ひと目惚れならずひと耳惚れしたその日から、音源を買い漁り、ずーっとずーっと聴き続けた。2年間くらい、家でくるり以外の音楽を聴かなかった。新しいアルバムが出ると、何ヶ月もそれをエンドレスで聴き続ける。今まさにその真っ最中だ。

 「ただ一つ言えるのは、なにかに接するとき、他の人と同じような接し方をしているのなら、私の世界では、それは『好き』ではないのだ。人があまりやらないようなことをやってしまってはじめて、それが私の世界のものになる」・・・こんなふうに書く石井さんの恋愛話など聞いてみたく思う・・・(「」部分引用)。
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by naomu-cyo | 2012-10-09 02:09 | フォトダイアリー | Comments(0)