「手鎖心中」(井上ひさし/文春文庫)を読む。
2012年 10月 29日
何故だったんだろう・・・と、今とても不思議に思っている。今年春、岩手県大槌町吉里吉里に取材で訪れたのがきっかけで、氏の「吉里吉里人」を読んだ。驚愕の面白さと強いメッセージに胸を打たれた。こんな作品を書く人だったのか。こんなに声高に想いをぶつける人だったのか。知ったときにはすでに故人、自分の迂闊さが悔やまれる。でも、作品は残る。それがありがたい。
「手鎖心中」を読んだ。裏表紙にさくっと書かれたあらすじによると、江戸時代の戯作者の物語らしい。もうひとつ「江戸の夕立ち」も収録。読み始めたらこれがたまらぬ面白さ。落語に肉付けして書き物語にしたらこんな感じだろうな、という軽妙さであった。
表題の「手鎖心中」の語り部は近松与七。どこかで聞いた名前・・・と思ったら、松井今朝子さんの「そろそろ旅に」の主人公、のちの十返舎一九であった。とことん洒落(駄洒落?)のめした作品で、材木問屋の若旦那は夢を叶えるために心中までも趣向として取り入れる始末。江戸の庶民の生活も匂うように感じられ、電車の中で読んでいるとその場に違和感を憶えるほどだった。

二作品を読み終えて、そこを貫いているのはどんなに暗雲たれこめても希望を捨てないでいることの強さ、のように感じた。あきらめるな、投げるな、腐るな、顔を上げ続けろ・・・人のもつ底力を信じてやまない作者の想いを強烈に感じた。その先に明るい未来はあるから、なんてことは言わない。ただひたすらに人間力を信じている・・・人に対する深い愛情が行間からにじみ出ていた。遅れに遅れたけれど、これからわたしの井上ひさしブームが始まりそうだ。
そうそう、銀座のTARUは2月までなんです。バンドは1/19,2/23です。建築物と内装に昭和を感じに来てみて下さい。取り壊しは残念。
TARU、なくなる前に行ってみたい・・・!