「きみはポラリス」、再読。
2012年 12月 29日
課題であるところの「恋愛する気指数」を上げるには恋愛小説でも読んだほうがよかろうと、我が家の本棚を眺めてみたのだが、個人的に「鉄板」だと思っている「斜陽」(太宰治)、「春の雪」(三島由紀夫)、「欲望」(小池真理子)では間違いなく恋愛指数は上昇しないであろう・・・どれもストレートな恋愛小説ではない。かといって、三島の「潮騒」もなんだかなあ・・・。こうなったら読後感の良かったものを読むに限る・・・三浦しをん「きみはポラリス」を引っぱり出した。
実にさまざまな恋愛が描かれた短編集。飼い犬の飼い主への愛、映画「渚のシンドバット」ばりの男子による男子への愛、宗教的な愛、兄弟愛を超えた愛・・・なども含まれている。ひとつひとつが恋愛の風景を描いていつつもそれだけでなく、生活していずれ死んでいくさだめをきちんと感じさせるところが、ただの恋愛小説とは一線を画するところだと思う。彼女の作品は、どんなことを描いても、その背後に人の一生という縦軸が感じられる。そこに奥行きと静謐さとを感じ、心をわしづかみにされてやまない。「きみはポラリス」も恋愛小説集であることなど読み出したそばから忘れ去り、登場人物たちの人生を食い入るように追ってしまうのだ。

「それにね、蒔田さん。文学は確かに、餡をこねること自体には必要ないものかもしれない。だが、餡をこねる貴女自身には、必要という言葉では足らないほどの豊穣をもたらしてくれるものではないですか」
「あの作品(エミリ・ブロンテ「嵐が丘」のこと)の舞台は、荒野とそこに建つ二軒の家しかないと言っていいでしょう。だがその世界を狭いと感じる人がいるでしょうか。いや誰もいない。そこにはすべてがあります。愛と憎しみが、策謀と和解が、裏切りと赦しが、その他ありとあらゆる、人間のすべてが嵐が丘にはある」(以上、「きみはポラリス」所収「骨片」より引用)
文学がもたらす豊穣・・・。そうだ、文学はわたしにとっても豊穣をもたらすもの以上のなにものでもない。そして世界の広さは物理的なものさしでは計れない。わたしの狭っちい世界にだってすべてあるのだ。
「きみはポラリス」は恋愛短編集という体裁を取りながら、多くの大事なことを描いてくれている。この先どうしようもなくさみしくなったり哀しくなったりやりきれなくなったりすることがあっても、この作品集が助けてくれるような気がする。「ポラリス」は北極星のことで、こぐま座でいちばん明るい星なんだそうな。太陽じゃぎらぎらしすぎるから夜空に強くしんと光る星の輝きくらいがなんだかちょうどいい。太陽は万物を照らすけれど、星は見守ってくれているようなそんな気がする。