慌ただしいのは姫野カオルコ本が面白いから
2014年 03月 10日
撮影のほうが詰まり過ぎて、とか、〆切りに追われて、とかいう理由ではないところがなんともいやはや・・・。撮影と〆切りはほどほどにある中で、すでに始まっている個展のDMを今頃焦って書いているとか確定申告のこととかあるのだが、そういうのを若干おざなりにしてかまけているのが読書。ちょっと休憩、で煙草とコーヒー、その合間にページをぱらぱらめくるうちにあっという間に1時間が過ぎていたりする。姫野カオルコ作品群があまりに面白過ぎて止められないのだ、ページを繰るのを。
ずっと以前に彼女の作品は一冊だけ読んだことがあった。頗る面白かったにもかかわらず、ほかの作品に手を伸ばさなかったのはなんでだったんだろう。今思えば不思議だけれど、今回の直木賞受賞が出逢い直す絶好のタイミングだったのだろう。
「昭和の犬」の前に「受難」(文春文庫)を購入した。これを選んだ理由は明確で、解説が米原万里さんだったから。彼女が推薦するならまちがいなく面白いにちがいない。米原さんの審美眼批評眼を信奉しているわたしは、安心して「受難」を購入し、のけぞるほどに堪能し、そして「昭和の犬」をすんなり手にした。そしてこの作品もまた、素晴らしい作品だった。
地球という惑星にぽつねんとたたずむ、その存在のわびしさせつなさを読み終わった後に感じまくった。孤独感とともに安堵感も憶えた。不思議な読後感だった。嗚呼、こうしてみんな生きて死んでいく、と思った。大きな物語ではない。淡々と日々を昭和を歩んでゆく主人公の物語だ。感情移入というよりも、気付けば主人公に寄り添うモードで読んでいた。かつての自分の一端を思い出したりなどもした。主人公の子ども時代を描く中で、生活を共にする動物の頭蓋骨のあたたかさに言及している文章があって、心をわしづかみにされた。そういう気がつかないような日常のぬくもりがキーになっている作品だと思った。
ひととおり姫野作品を読んでみたのだが、彼女の作品がマイナーうけするとか賛否両論がはっきり分かれるとかいうのがよくわからない。それは多分わたしがすごく好きになってしまったから。好きじゃない人の理由まではなかなか分析できない。それはどうしてすごく好きになってしまったかを分析できないのと同様に。彼女の作品を「ツ、イ、ラ、ク」するが如く好きになってしまった。