311という日付にとらわれたのか
2014年 03月 11日
自由が丘に着くとアナウンスが入り、駅構内にたたずんで周囲の人たちとともに黙祷する。そこから歩いて5分くらいで目的地到着。このときすでに携帯バッテリが切れていた。そろそろ時間だよねと思ったけれど誰もこない。不安になって近くのコンビニで充電器を購入、慌ててライターさんに電話するも出ず。取材始まっちゃったか・・・と思い取材先に電話を入れると、担当者と連絡をつけて折り返しますとの返事。そこでPCに届いていたメールを再び確認したところ、なんと撮影日は4月11日であった・・・。うっかりにも程がある、一ヶ月勘違い。
こんなことは初めてだ。最近始終考え事をしていて脳みそを休めていなかったせいか・・・多分、それもある。けどそれよりも、この仕事の話をいただいたとき「11日」という数字を見ただけで「311だ、あの日だ」と強烈に脳に刷り込んだ気がするのだ。そしたらそうにしか見えなくなった。
3年たってもあの日の記憶は一向に遠のかない。奇しくも今日勘違いした案件のライターさんは、3年前の震災の日に一緒の現場にいた人だから、あの日にまたご一緒するなんてすごい奇遇だなあと思い込みを上乗せしてしまった。
あまりの自分の迂闊さにげんなりして、とりあえずカフェで珈琲を飲み、二子玉川まで出てそこから成城学園前駅行きのバスに乗り、ひと駅分歩く。途中によく行く雑貨屋があるのだが、そこに閉店セールの文字。ええっ!と驚いて店に入り、仲良しのおねえさんに「なんだって閉店しちゃうんですかー!?」と訴え、気付けば長居して今日の顛末を話すと、「一ヶ月勘違いしたのが宇都宮の案件のほうじゃなくてよかったじゃん!」と笑われた。たしかに、そうだ。
どうしたら根本的な発想を転じられるか。それとも、土台無理な話なのか。
3年前のあの日、何も奪われることなく済んだ自分には、悲観する資格も要素もこれっぽっちもない気がするのだけど、なんだってこう・・・まあ、子どもの頃から発想が悲観シフトだったといえばそうなのだが。あれからもう3年ともいえるし、まだ3年ともいえる。悲しみが全然癒えてない人たちが大勢いたってちっともおかしくない。無理に癒えようとしなくていいから、自分のペースでゆっくりじっくり戻ってきてください、その間はこちらにお任せあれ・・・胸張ってそう言えたら。