フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


by naomu-cyo
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311という日付にとらわれたのか

 本日午前中に宇都宮で撮影。昼前には終わり、スタッフみんなで餃子を囲み、15時から別件撮影があるからとわたしだけ先においとました。

 自由が丘に着くとアナウンスが入り、駅構内にたたずんで周囲の人たちとともに黙祷する。そこから歩いて5分くらいで目的地到着。このときすでに携帯バッテリが切れていた。そろそろ時間だよねと思ったけれど誰もこない。不安になって近くのコンビニで充電器を購入、慌ててライターさんに電話するも出ず。取材始まっちゃったか・・・と思い取材先に電話を入れると、担当者と連絡をつけて折り返しますとの返事。そこでPCに届いていたメールを再び確認したところ、なんと撮影日は4月11日であった・・・。うっかりにも程がある、一ヶ月勘違い。

 こんなことは初めてだ。最近始終考え事をしていて脳みそを休めていなかったせいか・・・多分、それもある。けどそれよりも、この仕事の話をいただいたとき「11日」という数字を見ただけで「311だ、あの日だ」と強烈に脳に刷り込んだ気がするのだ。そしたらそうにしか見えなくなった。

 3年たってもあの日の記憶は一向に遠のかない。奇しくも今日勘違いした案件のライターさんは、3年前の震災の日に一緒の現場にいた人だから、あの日にまたご一緒するなんてすごい奇遇だなあと思い込みを上乗せしてしまった。

 あまりの自分の迂闊さにげんなりして、とりあえずカフェで珈琲を飲み、二子玉川まで出てそこから成城学園前駅行きのバスに乗り、ひと駅分歩く。途中によく行く雑貨屋があるのだが、そこに閉店セールの文字。ええっ!と驚いて店に入り、仲良しのおねえさんに「なんだって閉店しちゃうんですかー!?」と訴え、気付けば長居して今日の顛末を話すと、「一ヶ月勘違いしたのが宇都宮の案件のほうじゃなくてよかったじゃん!」と笑われた。たしかに、そうだ。

311という日付にとらわれたのか_a0025490_20121910.jpg
 よく、10個入りのお菓子のうち5個食べましたという段階で、「あと5個しかない」と思うか「まだ半分もある」と思うかで、前者は悲観論者、後者は楽観論者なんて表現をされるのを目にする。わたしは間違いなく悲観論者の部類で、どんなに絶好調なときでも心の隅っこになんかしらに対する怯えがくすぶって完全消去することがない。だから今日の勘違いにしたって、こんな迂闊をやらかしてしまったという「迂闊」のところにばかり目が行ってしまい、気が萎える。でも、雑貨屋のおねえさんの如く考えれば、誰にも迷惑をかけずに済んだぜセーフセーフと笑えるではないか。

 どうしたら根本的な発想を転じられるか。それとも、土台無理な話なのか。

 3年前のあの日、何も奪われることなく済んだ自分には、悲観する資格も要素もこれっぽっちもない気がするのだけど、なんだってこう・・・まあ、子どもの頃から発想が悲観シフトだったといえばそうなのだが。あれからもう3年ともいえるし、まだ3年ともいえる。悲しみが全然癒えてない人たちが大勢いたってちっともおかしくない。無理に癒えようとしなくていいから、自分のペースでゆっくりじっくり戻ってきてください、その間はこちらにお任せあれ・・・胸張ってそう言えたら。
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by naomu-cyo | 2014-03-11 20:12 | お仕事 | Comments(0)