木綿きもので手仕事の話を聴きに
2014年 04月 23日
手仕事のお話だしと、きものを着ていく。天気が崩れそうな気配があったのとちょっと肌寒かったのとで、濡れても気にならない木綿きもの中でも分厚いのを選ぶ。去年きもの青木で見初めた松阪木綿。座布団カバーなどで見たことはあったけど、手織りの反物状態で出くわしたのは初めて。糸が太く手織りでふっくらしているせいもあってか反物の巻きが随分と分厚かった。まだあまり着ていないのでごわっとしたままだけど、久しぶりに袖を通してみてやっぱりこういう味わいのあるきものが好きだなあとしみじみする。とはいえけっこう難物。織り柄の主張が強くて、帯合わせに毎度難航する。なんでも合いそうなもんだけど、手持ちの帯がこれまた柄まみれなものが多いから、主張×主張みたいになって着ているほうが疲れそう。ああでもないこうでもないと取っ替え引っ替えして、レモンイエロー地に水色の絞り模様の帯に落ち着いた。
作った人の名前を見て買うのではなく、自分で心からいいと感じ自分の見立てを信じてものを選ぶ、その目を養っていくことが手仕事の職人たちの技術を後世に繋いでいくことになる・・・いろいろな話に飛び火してたくさんのエピソードを伺ったけれど、すべてはこの言葉に集約された
久野さんが骨董屋で棟方志功作品を見つけ思いのほか安価だったので購入、それを表装してもらおうと知り合いの経師家にもっていった。「これはやりたくない」ときっぱり断られた。そのとき久野さんは「何十年もこの世界に関わっているのに、自分はまだ(作家の)名前で選んでいた」と反省したんだとか。その後、本紅型の端切れがたくさん見つかったのでそれをその経師家に見せると、彼は食い入るようにそれを何度も何度も見て、「ルーブル美術館以上の素晴らしさがあった。いいものからは力が感じられる」と充実の表情だったんだそう。
ものの中に宿る自然界や作り手の力を感じとり、自分の見立てを信じられるようになるには、時間もかかるしお金もかかるということをきもので身をもって勉強している最中。名もなき職人さんの技術が絶えてしまわないうちに、ひとつでも多くのものに触れていきたいし、あわよくばそばに置きたい・・・。そうする中で目を養っていければ勉強代も無駄ではなかったということになるだろうか。まあ実際のところ、あれこれ言ってみたところで物欲の言い訳でしかないのだが。