本の断捨離と梨木香歩作品
2014年 08月 14日
憧れの木造平屋にうっとりしつつ、「素敵だわ〜」と溜息がこぼれるポイントがたくさんあった。東京での生活から田舎暮らしに移行する際に、たくさんの「もの」を処分したんだそうで、家の中は簡潔極まりなく、かといって簡素すぎず、目を楽しませてくれるものは十分あり、風通しがいい物量であった。
こうした住まいを拝見するとたちどころに影響されて、帰宅早々断捨離作業が始まるのは常のこと。不必要なものは十分処分したつもりでいるが、さにあらず。今回は、いつの間にか本棚からはみ出して板間に積まれまくっている書籍に斬り込みをかけた。
はじめに読んだときの読後感が薄く、今後再読しないにちがいない本や、もうとっくに卒業している方向性の本などを引っぱり出したら、たちまち50冊を越えた。好きな作家の本の中でも印象が乏しいものは引っぱり出す。新撰組関連の小説も、池波正太郎と司馬遼太郎、浅田次郎のがそろっていれば十分満たされるので、それ以外は引っぱり出す。背伸びしたくて何度かトライしたけど結局読み切れていない本(澁澤龍彦とか・・・)もさよなら。文庫と単行本に分けてダンボール詰めして「みんなのとしょかんプロジェクト」に送ることにする。板間の雑然とした風景がすっきりした。
たくさんの物語が想いが言葉が、わたしの時間を通り過ぎて行ったんだなあと思う。ある時期すごく魅了されたものや、逆にほとんど素通りだったものもある。いまだに心に絡みついて離れないものもある。学生時代に読んだ本で残してあるのは文豪たちの作品くらいで、ほとんどが30を越してから手に取ったものだ。学生の頃と社会に出てからとでは本のチョイスも変化した。昔は小説しか読まなかったのに、今ではノンフィクションもよく読む。自分の知らないところで何が起きているかを知りたくなったからか。震災以降その傾向は加速している。
結局は減らしては増やすの繰り返し。総量はさほど変わらないけれど、これ以上の断捨離を敢行するには取捨選択の基準をおそらく変えねばなるまい。身辺整理を考えるにはまだ早く、田舎暮らしをしようというわけでもないから、今はこの程度で・・・。いつかもっと本棚を縮小するときがきたら、そのときわたしはどんな基準でどの本を手元に残すだろうか。
(写真は「家守綺譚」とその続編「冬虫夏草」)