先月、日帰り取材で今治〜新居浜を訪れた。旅ものではなく某不動産メーカーの案件で観光的要素は皆無。けれど飛行機と電車の乗り継ぎの都合で、松山界隈でぽかっと時間が空いた。ラッキー、と即旅モードに切り替わる。
松山をぶらぶらして感じるのは、「坊っちゃん」と夏目漱石、正岡子規に関するネタがとても多いということ。明治を生きた彼らが平成の世にあって観光に一役買っており、ここに道後温泉と松山城が加わって(個人的には伊予絣も必須)、松山という街は歴史と文化の香り高いゆかしいたたずまいを見せてくれる。このあたり、盛岡と共通するものを感じる。そこに暮らす人たちの中で、漱石や子規が脈々と息づき誇りになっているような気がしてならない。そういうの、憧れる。自分の地元は日立製作所の発祥の地で、それはとても誇りに思うところなのだが、漱石子規には叶わない気がする。なんていうか、漱石や子規は色っぽい。やはり文化のほうが経済よりも色気や惹きの部分で優勢な気がする。あくまで個人的見解だけど。
路面電車が走り抜け、小高いところに城が見え、そしてあの堂々たる道後温泉のたたずまい。それだけでわたしなどはノックアウトされる。加えてこの街を若き漱石や子規が闊歩したと思うだけで、ふわーっとした気分になる。取材後にも飛行機までの時間、温泉街をぶらぶらした。浴衣姿の旅行客があちこちに見られ、ライター氏とわたしはせめてもと足湯につかってきた。隣りにきたのは地元の女性で、犬の散歩中に毎日立ち寄るのだとか。このあたりは温泉があるからお風呂をもたない家もまだまだある、うちも家のお風呂はほとんど使わないの。そこに道後温泉があると思うと、やっぱり、ね・・・なんて贅沢な話だろう。
その道後温泉前では夫婦の旅行者が温泉背景に交代で写真を撮っていた。一緒のところを撮りましょうか、と声をかけるとお願いしますと嬉しそうにカメラを渡してくる。おふたりもうちょっと寄りましょうか。身体を内側に向けてください、せっかくですから思いきりの笑顔でいきましょう、なんて言葉をかけると、照れくさそうにしつつもいい笑顔を見せてくれる。後ろの人たちがどいた瞬間にシャッターを切り、撮った写真を見せてではごゆっくりなんてその場を去る。流しのカメラマンみたいなこういう行為がけっこう楽しい。やっぱり撮ることそのものが好きだし、撮ることを通して他者と行き交うのを楽しんでいるんだと思う。旅気分が加速する。