吹っ切れた顔ってどんな顔
2014年 11月 11日
40を迎えたときのような感慨はなく、淡々とその日を迎え、撮影も入ってないしで朝からお惣菜作りにいそしんだ。かぼちゃと小豆の煮物、ちくわぶと厚揚げとしいたけの煮物、ひじきとじゃがいもの煮物。冷ましてからタッパーに入れて冷蔵庫へ。夜はお祝いしてくれるという人にご飯をご馳走になり、たくさんおしゃべりして、とても静かで穏やかな一日を過ごした。
夏にきものだ帯だと散財したのが尾を引いているので自分への贈り物は控え、代わりといってもいつもしていることだが、欲しい本をまとめてウェブ書店hontoで注文した。最近は、小説ではなくドキュメンタリーや書き手の思考を知るための本を読むことが多い。今回注文した中で真っ先に読み出したのは「境界の町で」(岡映里/リトルモア)。
きのう、落語会がはねた後で先輩や友人たちと飲んだ。遅れて合流したわたしに、「むーちょ誕生日おめでとう!」と乾杯をしてくれた後で、先輩カメラマンが「なんか吹っ切れた顔してるなあ」とひとこと。ん?わたし何を吹っ切ったんだろ?・・・自覚がない。いい人なんて相変わらずいないけど、結婚はしたい、誰かいないっすか?と言ったら、「でもなんか幸せそうな顔してるよ」と。
もとより、パートナーの有無が幸不幸に影響するものではない、と常々思っているので、いようがいまいがわたしはいたって幸せだ。これは素直に負け惜しみなんて1ミリも含めずに心からそう思っている。両親健在、やりたい仕事をして心安い仲間に囲まれて、好きだと思えるものがいくつもあって、そうして41歳を迎えられたことがただただありがたい。

誕生日の翌日、以前よくかかってきた不動産屋の売り込み電話が久しぶりにあった。(支払っている家賃の範囲で買える)手頃なマンションができましたよ、と。わたしマンションは欲しくないんです、マンションのあの密閉感が苦手なんです。外の音とか聴こえたほうがむしろ安心するんで、中古で小さくていいから家が欲しいんです。都心にも興味ないんです。今いる世田谷あたりかそれよりも遠くでいいくらい・・・嬉々としてそう伝えながら、頭の中に住みたい家が浮かんでいた。今暮らしている木造アパートの延長みたいな家。口にしてみたらイメージがけっこうリアルで、わたしの中に望みとしてすでに形ができていることに気付いた。東京で家をもつなんて無理、と決めつけていたけど、無理とか無理じゃないとかを取っ払って、住みたい、欲しい、とただシンプルに思った。多分それでいい。それだけで何か変わってゆく。そんな41歳の始まり。この一年、いくつの望みが現実化するか・・・楽しみだ。