フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


by naomu-cyo
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

整理整頓

 アクセサリー作家・白洲千代子さんの個展を見に茅場町の森岡書店へ。ここでOさんと合流。書店ならではの本をイメージした陶器のブローチが並ぶ。こういうマッチング、楽しい。わたしもいつか文学旅写真を書店併設のギャラリーでやろうという気持ちが湧く。

 店主が教えてくれた近場の日本料理屋「徳武」で食事。久しぶりにいろいろの話をした。話すことがたくさんあった。食事中じゃ終わらなくて、場を移してコーヒーショップでもひたすら話し続けた。その中で「武藤さん、今もしお相手ができたら子ども産みたいって思う?」と尋ねられた。

 正直、もうぴんとこない、自分が母になるということが。年齢的にはまだ余地があるけれど、母になるという選択がわたしの中からほぼ失われている。そもそも心から本気で産みたいと思ったことってあっただろうか。「ハハニナル」というタイトルを付けて身近な妊婦さんのポートレイトを撮り始めたときは、このシリーズの最後は自分の妊婦姿を撮影して「ハハニナル」から「母になる」でフィナーレ・・・なんてイメージしていたけど、結局内なる想いはそれを実現するほどには強くなかった。行き会う妊婦さんの話をきいて撮影をしてということをこの7年くらいで何度も繰り返してきたけれど、その先「わたしも彼女たちのように母になるんだ」という強い意志は芽生えなかった。わたしはそういう性質(たち)、そういう種(しゅ)なんだろう。友人が我が子に授乳している姿を見て、嬉しくなりこそすれ、羨ましいとまでは思わなかった。複雑な気持ちにはなったけれども。

整理整頓_a0025490_1554013.jpg
 我が子を産み慈しみ育てていくことだけが母性のあらわれではないと思っている。社会全般に向けた母性というのもあるだろう。今から10年近く前にペインターの男子の撮影をよくしていた時期がある。彼は子どもたちともよくコラボしていて、そんなとき子どもらを前にしてわたしはどう振る舞っていいかよくわからなかった。もしかしたらちょっと苦手意識があったのかもしれない。その後ワークショップの撮影で毎月子どもたちと接するようになって、苦手意識はいつの間にか消えていた。予想のつかない彼らの行動を、撮っていて「おもろい!」と楽しむようになったからだと思う。わたしがどう振る舞うかなんてどうでもよくて、彼らのおもろさをただひたすら「おもろい!」と感じてシャッターを切っていれば、そこからおのずとコミュニケーションが生まれることを知った。子どもが好きか嫌いかの二者択一なんかではなくて、ちょっと大袈裟に表現するならば、地球上に生きている同じ生命体として尊重し慈しむ、それだけでもう十分な気がした。

 40を迎えたとき、不安要素がないわけではなかったけれど、これで年上の友人たちと同じ地平でおしゃべりできるって思って嬉しかった。40代ともなれば、その後の生き方についてある程度腹を括る頃だと漠然と思っていたから、ここでわたしの腹もけっこう決まった。人生をともにしていくパートナーというか同志というか、そういう存在は欲しい。今すぐっていうんじゃない。この人だと思う相手に出逢うときがきっとくる、自分がそういう存在を必要としているから。それ以外の部分はフォトグラファーとして今後どう生きていきたいか、そこに集約された。最近ようやく枝葉末節が削がれてきて、頭の中がクリアになってきた。かなり気持ちがいい。風が吹いている感じ。内包していたどろっとした部分じめっとした部分がどんどん薄まっていく感じ。こんなすがすがしさを我がものにできる日がくるなんて、想像もしてなかった。これからだっていきなり袋小路に迷い込むこともあるだろう。そんなとき、この風が吹いている感じを思い出したい。
名前
URL
削除用パスワード
by naomu-cyo | 2015-01-16 01:55 | フォトダイアリー | Comments(0)