「スプートニクの恋人」を読む
2015年 03月 26日
「スプートニク」という言葉の響きがなんとはなしに好きだ。そういえば意味を知らない。ネットで調べてみたら、「付随するもの、転じて衛星」と書いてあった。飼い主である彼が惑星で、そのそばをくるくる動き回っているであろうあの犬は衛星ってことかななどと想像する。同じ建物にいる縁、ご近所付き合いしたいなと思う。6階フロアで「スプートニク!」と呼んだら逢えるだろうか。
村上作品はセンテンスがあまりにも洗練されている気がして、読んでいると時々気恥ずかしくなる。比喩表現が会話の中によく出てくるのだが、込み入ったというかエスプリの効いたというか、そんな比喩を使う人間にこれまで遭遇したことがないので、わたしのリアリティには程遠いこともあって気恥ずかしくなるのだろうと思われる。そのあたりはやはり外国文学に精通している村上春樹ゆえなんだろうか。
たとえば主人公がクラシック音楽とか外国文学ではなく、落語とか歴史小説に精通している人物だったと仮定したら、この主人公はけっこう理想的だなと思う。めいいっぱい甘えさせてくれそうなうえに、好きな落語や本の話を延々としていられそうだし、なにしろそこはかとなくジェントルマンだ。激しい恋をする相手というよりも、一緒に暮らしていくのに向いている相手かもしれない・・・などと勝手に空想を楽しむ。村上作品を読んでこんなふうに空想を広げるのは稀で、それはやっぱり終わり方が好きだからかもしれないなあ。
6階の住民氏は飼い犬に「スプートニク」という名前をどういう理由でつけたのだろう。人工衛星からとったのか、村上作品に影響されたのか、それとも単に音が好きだったからなのか、全くもってほかの理由なのか。今度遭遇したら「どうして『スプートニク』なんですか?」と尋ねてみたい。なんだか面白い話が聴けそうな気がする。